今年最初の3連休が明け、火曜日から週が始まると、1週間がとても短く感じる。
あっという間に木曜日を迎えた(17日)。
大寒に向かって列島の気圧配置は縦縞模様を強め、北海道を始めとした北日本の寒さは厳しさを増している。
「爆弾低気圧」なる気象用語が頻繁に使われる。
何とも物騒な用語だが、そのくらい強烈なのだろう。
週始め、北海道ではマイナス29度強を記録した地もあった。
恐ろしい温度である。
首都圏では待望の湿り気が初雪でもたらされるかと期待したが、お湿り程度で終わってしまった。
インフルエンザ流行の兆しが顕著となっている。
3日間競馬(12・13・14日)を戦った博打屋は、いささかの疲労感に見舞われてはいるが、予防ワクチンの効果か、インフルエンザの魔の手から今のところ逃れている。
冬場のダート競馬の展開の紛れに悩まされた3日間競馬だったが、終わってみればスタート時の所持金をキープしていたのは健闘の部類か。
当たり癖をつけなければ次へ進めないのが博奕稼業の宿命だ。
京成杯(14日)の1番人気シークレットランはパドックで見る限りやや太目ではないかと疑問を抱かせた。
プラス12キロは成長分との見方も出来たが、結果伸びを欠いて4着は、前走レコード勝ちの馬の実力とも思えなかった。
この馬の評価を現場で下げなければならないところが、競馬の前発表の難しさで、馬券はナマモノであることの面白さでもある。
1勝馬に注目したので、ヒンドゥタイムスの3着は馬券的には「よくやった、中谷君」ものであった。
ダート競馬では「交わしの交わし」と言うべき、先行、好位差し総崩れのシーンもあり、冬場のダートらしい力馬台頭の兆候ありありだった。
今週の競馬も恐らくその傾向は強まるだろう。
横綱稀勢の里の引退表明のあった昨日(16日)だったが、引き際が潔いとは思えなかったのが残念だ。
日本人横綱待望論の最中に、大甘の横綱誕生を画した相撲協会が、稀勢の里の力士寿命を早めてしまった感だ。
心・技・体のどの一つが欠けても綱は張り続けまい。
稀勢の里の横綱昇進前を見ているファンなら、彼に欠けていたものを感じていたはずだ。
もう少しゆっくりでも昇進はよかったのかも知れない。
日本人だろうが外国人だろうが、受け入れて土俵に上がらせている以上、強い力士が横綱を張るのは当然のこと。
優勝劣敗はどの競技にも共通する原理ではないか。
今日(17日)は3か月毎の前立腺肥大症の検査で早朝から病院通い。
超音波診断があるので尿を溜めて来るようにと予約票に書いてあった。
しかし、朝出掛ける前にトイレで大小しっかりと出しきってしまった。
受付で尿がたまっているかと聞かれてハタと困った。
溜まるまで待って下さいとのことだったので、コーヒーを飲んで時間を稼いだ。
しかし、悪いことに便意を催した。
直下型の博打屋だから、こればかりはやばい。
せっかく溜まりつつある尿なのに、トイレに行くと一緒に出てしまう。
しかし、直下型は止められない。
仕方なくトイレに行って何とか便だけを出せないものかと試みた。
せっかくコーヒーを飲んで溜めた尿だ、少量とも出したくない。
しかし、これが中々テクニックを要する。
便は待ってましたとばかりに出る。
問題は、やや遅れて出ようとする尿だ。
出してはいけないと一思案をして、我が逸物の先っぽを掴んだ。
しかし、これがいけなかった。
逸物を上に向け、止血宜しく尿道を指で押さえたまでは良いが、一度緩んだ肛門筋は尿道までを弛緩してしまう。
尿意は指の力を無視して押し寄せてきてしまった。
こうなると、人の意志など儚いものだ。
我が逸物はみるみる膨らんで出口を求めるホース状態となり、ついには指の圧力を勝ってしまった。
最初から下に向けてやってりゃよいものを、なまじ上に向けたばかりに噴水状態になったのも不幸だ。
嗚呼、何てこったと思いながらも、出してなるものかと頑張る博打屋。
尿意と便意の相関関係なんて、哲学的な命題を思いながら無駄な抵抗を試みた。
それでも、某かは検査用に尿を残したか。
受付に戻り、大丈夫と思いますと申し出て、めでたく超音波診断となった。
検査結果が出るまで待たねばならないが、早目の病院行きで受診はスムーズに進んだ。
前立腺肥大症は体積で計るのだそうで、数値的には基準の倍近くあったが、それも許容範囲ということで継続して薬を飲むこととなった。
とりあえずホッとした所見だが、超音波検査に耐えうる尿を残したかという満足感も伴った。
結構、噴水してしまったのに、あれで足りたのかなと疑問も残るが、哲学的思考の結論は、尿意と便意を分離する合理的なメカニズムは無いと言うことか。
男と女にその差異があるのか否かも疑問点だが、中には特技にも近いテクニックを開発した人もいるかもしれぬ。
今日の経験をふまえ、博打屋も少し研究してみようと思った。
爆弾低気圧とはあまり縁のない経験だった。
あっという間に木曜日を迎えた(17日)。
大寒に向かって列島の気圧配置は縦縞模様を強め、北海道を始めとした北日本の寒さは厳しさを増している。
「爆弾低気圧」なる気象用語が頻繁に使われる。
何とも物騒な用語だが、そのくらい強烈なのだろう。
週始め、北海道ではマイナス29度強を記録した地もあった。
恐ろしい温度である。
首都圏では待望の湿り気が初雪でもたらされるかと期待したが、お湿り程度で終わってしまった。
インフルエンザ流行の兆しが顕著となっている。
3日間競馬(12・13・14日)を戦った博打屋は、いささかの疲労感に見舞われてはいるが、予防ワクチンの効果か、インフルエンザの魔の手から今のところ逃れている。
冬場のダート競馬の展開の紛れに悩まされた3日間競馬だったが、終わってみればスタート時の所持金をキープしていたのは健闘の部類か。
当たり癖をつけなければ次へ進めないのが博奕稼業の宿命だ。
京成杯(14日)の1番人気シークレットランはパドックで見る限りやや太目ではないかと疑問を抱かせた。
プラス12キロは成長分との見方も出来たが、結果伸びを欠いて4着は、前走レコード勝ちの馬の実力とも思えなかった。
この馬の評価を現場で下げなければならないところが、競馬の前発表の難しさで、馬券はナマモノであることの面白さでもある。
1勝馬に注目したので、ヒンドゥタイムスの3着は馬券的には「よくやった、中谷君」ものであった。
ダート競馬では「交わしの交わし」と言うべき、先行、好位差し総崩れのシーンもあり、冬場のダートらしい力馬台頭の兆候ありありだった。
今週の競馬も恐らくその傾向は強まるだろう。
横綱稀勢の里の引退表明のあった昨日(16日)だったが、引き際が潔いとは思えなかったのが残念だ。
日本人横綱待望論の最中に、大甘の横綱誕生を画した相撲協会が、稀勢の里の力士寿命を早めてしまった感だ。
心・技・体のどの一つが欠けても綱は張り続けまい。
稀勢の里の横綱昇進前を見ているファンなら、彼に欠けていたものを感じていたはずだ。
もう少しゆっくりでも昇進はよかったのかも知れない。
日本人だろうが外国人だろうが、受け入れて土俵に上がらせている以上、強い力士が横綱を張るのは当然のこと。
優勝劣敗はどの競技にも共通する原理ではないか。
今日(17日)は3か月毎の前立腺肥大症の検査で早朝から病院通い。
超音波診断があるので尿を溜めて来るようにと予約票に書いてあった。
しかし、朝出掛ける前にトイレで大小しっかりと出しきってしまった。
受付で尿がたまっているかと聞かれてハタと困った。
溜まるまで待って下さいとのことだったので、コーヒーを飲んで時間を稼いだ。
しかし、悪いことに便意を催した。
直下型の博打屋だから、こればかりはやばい。
せっかく溜まりつつある尿なのに、トイレに行くと一緒に出てしまう。
しかし、直下型は止められない。
仕方なくトイレに行って何とか便だけを出せないものかと試みた。
せっかくコーヒーを飲んで溜めた尿だ、少量とも出したくない。
しかし、これが中々テクニックを要する。
便は待ってましたとばかりに出る。
問題は、やや遅れて出ようとする尿だ。
出してはいけないと一思案をして、我が逸物の先っぽを掴んだ。
しかし、これがいけなかった。
逸物を上に向け、止血宜しく尿道を指で押さえたまでは良いが、一度緩んだ肛門筋は尿道までを弛緩してしまう。
尿意は指の力を無視して押し寄せてきてしまった。
こうなると、人の意志など儚いものだ。
我が逸物はみるみる膨らんで出口を求めるホース状態となり、ついには指の圧力を勝ってしまった。
最初から下に向けてやってりゃよいものを、なまじ上に向けたばかりに噴水状態になったのも不幸だ。
嗚呼、何てこったと思いながらも、出してなるものかと頑張る博打屋。
尿意と便意の相関関係なんて、哲学的な命題を思いながら無駄な抵抗を試みた。
それでも、某かは検査用に尿を残したか。
受付に戻り、大丈夫と思いますと申し出て、めでたく超音波診断となった。
検査結果が出るまで待たねばならないが、早目の病院行きで受診はスムーズに進んだ。
前立腺肥大症は体積で計るのだそうで、数値的には基準の倍近くあったが、それも許容範囲ということで継続して薬を飲むこととなった。
とりあえずホッとした所見だが、超音波検査に耐えうる尿を残したかという満足感も伴った。
結構、噴水してしまったのに、あれで足りたのかなと疑問も残るが、哲学的思考の結論は、尿意と便意を分離する合理的なメカニズムは無いと言うことか。
男と女にその差異があるのか否かも疑問点だが、中には特技にも近いテクニックを開発した人もいるかもしれぬ。
今日の経験をふまえ、博打屋も少し研究してみようと思った。
爆弾低気圧とはあまり縁のない経験だった。