日の出がどんどん遅くなっていき、日没はあっと言うまにやってくる(18日)。
底冷えのした一昨日(16日)の中山競馬場のパドックだったが、週明けの昨日今日は冬型の気圧配置で好天に恵まれている。
餅つき競馬なんて死語だと書いた一昨日だったが、どっこい中山競馬を戦っていると、とんでもない、十分餅つき競馬だよと思わされるシーンが多々あった。
最たるものは、日曜8Rの小島太一サンジレット2着激走ではなかったか。
このレース、勝ったのはミヤギウイング4番人気、3着シルバーストーン3番人気というゴールで、2着サンジレットは12番人気だった。
波乱の要因は1番人気サトノブレイズの奔走でもあったが、マーフィー騎手への異常人気もあったかに思えた。
荒れるなとパドックで思いながら、ではどう荒れるかの模索となった。
ここで、師走競馬のキーマンはロートル騎手かマイナー騎手との、自らの心得を思い出せば男の子だったが、パドックを見ながら、小島太一サンジレットには目が止まらなかった。
3連複39780円、3連単320800円の波乱の立役者は紛れもなく、小島太一?、誰それ?と言うべき騎手であった。
そうか、そー言うことかとレース後に苦笑する博打屋だった。
しばらくぶりの小島太一騎手でもあり、この間確か結婚したのではなかったか。
う~ん、彼が悪いのじゃない、サンジレットも悪くはない、虎視眈々とこのチャンスを待っていた陣営のしてやったりの2着だろう。
昨今の競馬は外国人騎手を中心に回っているが、安直に外国人騎手人気に振り回されると、思わぬ痛手にあう。
このところ、外国人騎手の人気集中が波乱の要因となるレースが増え始めた。
予想屋の安直な記しに依るところが多いが、馬券を買う側にも問題が残る。
人気のバランスを自分で判断する見識が師走競馬残り3日間の課題でもあろう。
平成最後の師走もカウントダウンが近づいている。
何かにつけて、平成最後のと言う前置きが付く時期となった。
このところ登戸に出向く機会が多くなった。
登戸という町は、多摩川の交通要所として古くから栄えた町だ。
南武線には溝の口、武蔵小杉と言う町も古くから栄えた町がある。
それらに比べ、登戸宿は居酒屋や煮売屋などが集まり歓楽街の様相があった。
その登戸が30年も前に計画された区画整理がようやく前進し、このところ大きく変貌しつつある。
訪れる度に更地になる風景に驚くばかりだが、地元の人に言わせると、遅くに失した区画整理だとのことだ。
更地になった表通りから、路地奥の建物が白日の下に曝される。
そんな風景の中に、壊されるのが惜しいような建物が見られる。
懐かしい昭和の日遺物と言われそうなアパートだ。
何だか、寂しい限りだ。
時代の脱皮とはこう言うものなのだが、せめて残せるのは、博打屋の記憶の中の風景としてのみだろう。
平成最後の師走と思うと、次の年号が博打屋にとっても最後に生きる年号だと気づかされる。
このアパートが博打屋の人生を象徴してくれているような気がする。
少しも違和感を感じない、生きた証のような建物である。
近々壊されるのだろうが、その日を見たくない気もする。
底冷えのした一昨日(16日)の中山競馬場のパドックだったが、週明けの昨日今日は冬型の気圧配置で好天に恵まれている。
餅つき競馬なんて死語だと書いた一昨日だったが、どっこい中山競馬を戦っていると、とんでもない、十分餅つき競馬だよと思わされるシーンが多々あった。
最たるものは、日曜8Rの小島太一サンジレット2着激走ではなかったか。
このレース、勝ったのはミヤギウイング4番人気、3着シルバーストーン3番人気というゴールで、2着サンジレットは12番人気だった。
波乱の要因は1番人気サトノブレイズの奔走でもあったが、マーフィー騎手への異常人気もあったかに思えた。
荒れるなとパドックで思いながら、ではどう荒れるかの模索となった。
ここで、師走競馬のキーマンはロートル騎手かマイナー騎手との、自らの心得を思い出せば男の子だったが、パドックを見ながら、小島太一サンジレットには目が止まらなかった。
3連複39780円、3連単320800円の波乱の立役者は紛れもなく、小島太一?、誰それ?と言うべき騎手であった。
そうか、そー言うことかとレース後に苦笑する博打屋だった。
しばらくぶりの小島太一騎手でもあり、この間確か結婚したのではなかったか。
う~ん、彼が悪いのじゃない、サンジレットも悪くはない、虎視眈々とこのチャンスを待っていた陣営のしてやったりの2着だろう。
昨今の競馬は外国人騎手を中心に回っているが、安直に外国人騎手人気に振り回されると、思わぬ痛手にあう。
このところ、外国人騎手の人気集中が波乱の要因となるレースが増え始めた。
予想屋の安直な記しに依るところが多いが、馬券を買う側にも問題が残る。
人気のバランスを自分で判断する見識が師走競馬残り3日間の課題でもあろう。
平成最後の師走もカウントダウンが近づいている。
何かにつけて、平成最後のと言う前置きが付く時期となった。
このところ登戸に出向く機会が多くなった。
登戸という町は、多摩川の交通要所として古くから栄えた町だ。
南武線には溝の口、武蔵小杉と言う町も古くから栄えた町がある。
それらに比べ、登戸宿は居酒屋や煮売屋などが集まり歓楽街の様相があった。
その登戸が30年も前に計画された区画整理がようやく前進し、このところ大きく変貌しつつある。
訪れる度に更地になる風景に驚くばかりだが、地元の人に言わせると、遅くに失した区画整理だとのことだ。
更地になった表通りから、路地奥の建物が白日の下に曝される。
そんな風景の中に、壊されるのが惜しいような建物が見られる。
懐かしい昭和の日遺物と言われそうなアパートだ。
何だか、寂しい限りだ。
時代の脱皮とはこう言うものなのだが、せめて残せるのは、博打屋の記憶の中の風景としてのみだろう。
平成最後の師走と思うと、次の年号が博打屋にとっても最後に生きる年号だと気づかされる。
このアパートが博打屋の人生を象徴してくれているような気がする。
少しも違和感を感じない、生きた証のような建物である。
近々壊されるのだろうが、その日を見たくない気もする。