寒さの緩んだ関東地方(12日)。
全国的にも気温があがる予報だ。
それっとばかりに洗濯に取り組んだ。
庭に出ると、奥のお宅から覗き込まれているようで、あまり心地よくないが、それにしても、変則的な土地関係になっており、後ろのお宅にしてみれば、我が『愁思符庵』がなければ広々と庭と門構えをもった家になったのだろう。
この辺りは亡くなった上原さんの奥さんの両親が所有され、娘である奥さんと弟さんちたちが各々所有している。
亡くなった上原さんは養子だから自分の名義のものは何もないんだよとよく話していた。
おそらく、この近隣の住宅は、上原さん先代が分割して売ったりしたものだから、後ろのお宅は元々自分の土地であったなら、上原さんの土地にぐるり囲まれた飛び地的になってしまったのだろう。
敷地一杯に変則的3階住宅で、2階部分に玄関がある。
『愁思符庵』も後ろのお宅も同じ南東向きに玄関がある。
従って、『愁思符庵』はそっくり、後ろのお宅の前に位置しており、2階の玄関や居間やベランダから見下ろされる位置関係にある。
見えるばかりに気になる事があるのだろうが、越権行為と言うものもある。
博打屋が庭やベランダをどう使おうが、口を挟むべきでないのは近隣として常識。
今日も洗濯を干したが、そのうち干し方までも悪いと言われるんじゃないかと余り良い気がしない。
せっかく、気に入った古家が見つかり、畑近くの景観を楽しんでいたのだが、土地を巡る確執のある住人がいるとすると厄介な事だ。
古い住人もいれば、新興の住宅もある。
一つ町内、一つ班と細分化されている地域社会だが、個人のエゴがむき出しになるところでもある。
何も持たない博打屋から見ると、持てる者の自己防衛本能が顕に表面化する。
個人間でそうした軋轢が生まれるのだから、国や人種が違ったり、思想・文化が違えば、いさかいの絶えぬのは当たり前か。
最近の日本人は少しおかしくなっている。
例えば電車など、公共の乗り物などで混雑している時など、決して自分が確保した位置を譲ろうとしない。
狭い車内で、人混みがなだれ込んでも、ここは俺の場所と言わんばかりに頑なに位置を譲ろうとしない。
それどころか、触れ合う人に対しては押し返す始末だ。
一体どんな了見をしている奴かとひっぱたきたくなるではないか。
こんな小競り合いは通勤時には日常茶飯事で、何とも殺伐とした人間集団を呈している。
要因は様々あろうが、日本人が金や物を持つことに糾糾とし、手にしたモノは何がなんでも俺のモノとの思いが強いのではないか。
幸い、何もモノを持たない博打屋は、他人様の庭の使い方に関心を持つことはあれ、あれこれ口出しするほど興味はない。
久々に暖かいなと感じる昼下がり、今日は裁判所に訂正書面を一通届ける用事があった。
川崎まで出向くと半日が潰れる事になるが、幸い今日(12日)から静岡競輪全日本選抜G1が始まり、川崎競輪場でも場外を売っている。
裁判所と競輪場は目と鼻の先。
まるで博打屋の為にあるような位置関係。
午後一で担当書記官に面会し、訂正書面を提出すると、書記官は相変わらず親切に不備なところを説明し、2通を受理してくれた。
わずかな時間で終わったので、商いに切り替えるかと思案したが、今日は初日、手出しは慎重にしなければならない。
このところの不調だと、週末の商いも黄信号点滅だ。
しばらく裁判を傍聴することにした。
少年院にも世話になった20歳代の青年のカード詐欺事件。
お馴染みの若い検察官と裁判官。
弁護士は初めてみる若者。
川崎の地方裁判所は、裁判官こそ年配だが、検察官や弁護士は驚くほど若い。
事件によりけりだろうが、もうそんな時代になっているのだなと、傍聴席で感じる。
弁護側証人に、被告の母親と仕事先社長が立った。
双方から尋問があり、型通りの審理。
すでに、昨年末100万円で保釈され、社長の下で働いている。
弁護側は、母親の監督や勤め先の社長が金を立て替えて保釈し働かせている近況を引き出し、更正の環境が有ることを強調した。
裁判官が出された書類を読み込んでしまうシーンが長く、予想外に時間が経ってしまった。
今日は弁論だからこれ以上傍聴しているわけにいかない。
途中で抜け出し、競輪場に出向き、後半3レースの見物。
11Rを見終えた時に裁判所の書記官から電話があり、訂正書面中の請求金額が合わないとの指摘。
電話でも良いから、正確な合算金額を知らせるようにとの事だった。
幸い目と鼻の先にいるので直ぐ伺います、とはまさか言えなかったが、12Rを捨てるつもりで裁判所に戻り数字の訂正やら、タイトルの変更などをし、訂正印を押して完了。
再び競輪場に戻り武田・後閑に脇本をぶつけた車券を買ったが、中川に捲られてしまい武田は2着。
訂正にもう少し時間がかかってくれれば12レースも間に合わなかったものを、こいつは結果論。
渡りに船の地理的環境を生かせなかった博打屋の負け。
何処まで続くこの不調。
週末が案じられるが、今日は如月下弦。
半分でも良いから、博打屋にも光が欲しい。
全国的にも気温があがる予報だ。
それっとばかりに洗濯に取り組んだ。
庭に出ると、奥のお宅から覗き込まれているようで、あまり心地よくないが、それにしても、変則的な土地関係になっており、後ろのお宅にしてみれば、我が『愁思符庵』がなければ広々と庭と門構えをもった家になったのだろう。
この辺りは亡くなった上原さんの奥さんの両親が所有され、娘である奥さんと弟さんちたちが各々所有している。
亡くなった上原さんは養子だから自分の名義のものは何もないんだよとよく話していた。
おそらく、この近隣の住宅は、上原さん先代が分割して売ったりしたものだから、後ろのお宅は元々自分の土地であったなら、上原さんの土地にぐるり囲まれた飛び地的になってしまったのだろう。
敷地一杯に変則的3階住宅で、2階部分に玄関がある。
『愁思符庵』も後ろのお宅も同じ南東向きに玄関がある。
従って、『愁思符庵』はそっくり、後ろのお宅の前に位置しており、2階の玄関や居間やベランダから見下ろされる位置関係にある。
見えるばかりに気になる事があるのだろうが、越権行為と言うものもある。
博打屋が庭やベランダをどう使おうが、口を挟むべきでないのは近隣として常識。
今日も洗濯を干したが、そのうち干し方までも悪いと言われるんじゃないかと余り良い気がしない。
せっかく、気に入った古家が見つかり、畑近くの景観を楽しんでいたのだが、土地を巡る確執のある住人がいるとすると厄介な事だ。
古い住人もいれば、新興の住宅もある。
一つ町内、一つ班と細分化されている地域社会だが、個人のエゴがむき出しになるところでもある。
何も持たない博打屋から見ると、持てる者の自己防衛本能が顕に表面化する。
個人間でそうした軋轢が生まれるのだから、国や人種が違ったり、思想・文化が違えば、いさかいの絶えぬのは当たり前か。
最近の日本人は少しおかしくなっている。
例えば電車など、公共の乗り物などで混雑している時など、決して自分が確保した位置を譲ろうとしない。
狭い車内で、人混みがなだれ込んでも、ここは俺の場所と言わんばかりに頑なに位置を譲ろうとしない。
それどころか、触れ合う人に対しては押し返す始末だ。
一体どんな了見をしている奴かとひっぱたきたくなるではないか。
こんな小競り合いは通勤時には日常茶飯事で、何とも殺伐とした人間集団を呈している。
要因は様々あろうが、日本人が金や物を持つことに糾糾とし、手にしたモノは何がなんでも俺のモノとの思いが強いのではないか。
幸い、何もモノを持たない博打屋は、他人様の庭の使い方に関心を持つことはあれ、あれこれ口出しするほど興味はない。
久々に暖かいなと感じる昼下がり、今日は裁判所に訂正書面を一通届ける用事があった。
川崎まで出向くと半日が潰れる事になるが、幸い今日(12日)から静岡競輪全日本選抜G1が始まり、川崎競輪場でも場外を売っている。
裁判所と競輪場は目と鼻の先。
まるで博打屋の為にあるような位置関係。
午後一で担当書記官に面会し、訂正書面を提出すると、書記官は相変わらず親切に不備なところを説明し、2通を受理してくれた。
わずかな時間で終わったので、商いに切り替えるかと思案したが、今日は初日、手出しは慎重にしなければならない。
このところの不調だと、週末の商いも黄信号点滅だ。
しばらく裁判を傍聴することにした。
少年院にも世話になった20歳代の青年のカード詐欺事件。
お馴染みの若い検察官と裁判官。
弁護士は初めてみる若者。
川崎の地方裁判所は、裁判官こそ年配だが、検察官や弁護士は驚くほど若い。
事件によりけりだろうが、もうそんな時代になっているのだなと、傍聴席で感じる。
弁護側証人に、被告の母親と仕事先社長が立った。
双方から尋問があり、型通りの審理。
すでに、昨年末100万円で保釈され、社長の下で働いている。
弁護側は、母親の監督や勤め先の社長が金を立て替えて保釈し働かせている近況を引き出し、更正の環境が有ることを強調した。
裁判官が出された書類を読み込んでしまうシーンが長く、予想外に時間が経ってしまった。
今日は弁論だからこれ以上傍聴しているわけにいかない。
途中で抜け出し、競輪場に出向き、後半3レースの見物。
11Rを見終えた時に裁判所の書記官から電話があり、訂正書面中の請求金額が合わないとの指摘。
電話でも良いから、正確な合算金額を知らせるようにとの事だった。
幸い目と鼻の先にいるので直ぐ伺います、とはまさか言えなかったが、12Rを捨てるつもりで裁判所に戻り数字の訂正やら、タイトルの変更などをし、訂正印を押して完了。
再び競輪場に戻り武田・後閑に脇本をぶつけた車券を買ったが、中川に捲られてしまい武田は2着。
訂正にもう少し時間がかかってくれれば12レースも間に合わなかったものを、こいつは結果論。
渡りに船の地理的環境を生かせなかった博打屋の負け。
何処まで続くこの不調。
週末が案じられるが、今日は如月下弦。
半分でも良いから、博打屋にも光が欲しい。