肉体労働に明け暮れる日々で頭が呆けそうだ。
コーヒーと桑名土産のハマグリ味噌汁を7時45分まで飲みながらニュースを見る朝が続く。
今日は寝起きが辛く15分遅れの進行。
昨日(21日)のオクラホマの竜巻被害の続報が報じられるのを見ながら、何が人の運命を変えるのか分からないものだなと思った。
日本では竜巻は年間20件程度で馴染みが薄いが、アメリカでは桁違いに発生している。
今回の竜巻は最大級の威力だと言う。
時速300キロ以上の新幹線速度でコースの予測も出来ないで向かって来るのだから、見えていても避けようがない。
まさに運賦天賦、地下シェルターに逃げ込むしか助かりようがない。
多くの子供が犠牲になったが学校にシェルターが設置されていなかったそうだ。
「地震雷火事親父」と言うのは日本での竜巻の脅威の低さを表している。
竜巻の怖さを認識していない。
アメリカにこの格言があるとしたら何処に入るだろうか。
日本にしても、もはや「おやじ」など権威も怖さもない存在だから、そろそろ入れ換えた方が良い。
ではどこに入れるのが妥当か。
津波は地震の一部だから割愛されているが、島国日本なら本来は上位だ。
火事は人災の場合が多く予防も可能だ。
その意味から語呂は悪いが、地震雷竜巻火事が妥当か。
今日は秀玉と言う青梨の袋掛けをしたが、少し掛けすぎたようで途中で掛けた実を更に間引く羽目となった。
余り売れない梨だからせめて大きく作らないと尚更売れない。
数を取らなくて良いと聞いていたが、博打屋の感覚と園主の感覚の違いだから仕方ない。
18時15分までの労働で1000枚。
梨作業に追われていたら近くの古い農家がついに取り壊しに入った。
以前この日記にも書いたが、大きな柊の木がある屋敷だ。
他にも柿の木や欅の大木がありその存続が気になっていた。
行ってみると欅だけ残って跡形もなくなった(写真)。
欅だけは残ったか、と残念に思い夕方また行ってみると、何と欅も伐採されており、大きな切り株が残されていた。
何だか哀しくなる光景だった(写真)。
切り株が痛々しい。
時おり薪で風呂を焚いている臭いや煙が上がっていた農家だが、これも時代と言うものか。
それにしても、大木になると葉に棘が無くなり丸みを帯びると言う柊の含蓄深さを教えてくれた木がなくなったのは残念な限り。
我が多摩の里・稲田堤の風景にも世代交代の余波が押し寄せて来ているようだ。
「地震雷竜巻都市化」
博打屋にはそう思える。