暑いと云う表現が何の現実味を帯びない日々が続いている(12日)。
今朝も薄明かるくなる頃に目覚め、本を読んだり眠ったりの繰り返し。
夜明けと共に気温が上がるのが分かり、うつらうつらとしていても汗で目覚めてしまう。
幸か不幸か横になっている時間は長いが睡眠は浅い。
夏日とか猛暑日とかの回数はこの40年間で3倍になっているのだそうで、もはや記録記録と騒ぐのも可笑しいと云う。
つまり、記録更新は当たり前の事なのだ。
今日(12日)は「標準時間記念日」。
1886年(明治19年)のこの日日本全国の時間を統一したことを記念した日だ。
太陽が真南に位置する時を正午とすると、北海道東端と九州西端とでは1時間以上の差が生じる。
この時差をなくすために兵庫県明石市を通る東経135度の時間を「日本標準時」と定めた。
これが定められた事で日の出、日没の時差はあっても、日本全土同じ時に正午を迎える。
NHKのお昼の「ププププーン」は全国一斉に鳴る。
この東経135度の線を子午線と云う。
ここまでは小学校のおさらいか。
まだ新幹線が大阪までしかなかった時代、山陽本線で岡山まで帰る時、明石駅を通ると大きな時計があった。
客は皆腕時計を見て時間を合わせたものだ。
もし、この標準時がなかったら、日常生活は随分ややこしかっただろう。
推理小説のトリックには良かったのかも知れない。
開店休業続きの今週だったが、今日は乾坤一擲、撃って出なければならない事情があった。
週明けの月曜日、知人の上野氏が電話をよこし、七夕賞にも行っていない博打屋を案じてくれた。
古い知人だから競馬場に博打屋がいないのは異変と思ったのだろう。
どうしたんですか、の問いに、どうもこうも事情は推して測るべしと答えた。
それじゃ今週は自分も行きたいので私の車で行きましょう、1人ではしんどいのでとなった。
世が世なら渡りに船の申し出だが、7月の危機に見舞われている博打屋にその余裕はない。
まあ、何とかなりますよ、稼ぎゃ良いんですからと相変わらず前向きな男だ。
その代わり宿の手配お願いしますよとの話で、木曜(11日)に結論となった。
その後念のために福島の宿をあたって見ると軒並み満室だ。
嘘っと驚いたが、3連休で競馬客もいれば、何かのスポーツ大会もあるようだ。
至って宿事情が悪いのと、それを上回る博打屋の懐具合で昨日(11日)断念の結論を用意していた。
しかし、本人は既にその気で郡山の少林寺の門下生に宿は手配させたと云う。
ふ~む、困った。
こりゃ何とかせねばと思えども無い袖は振れぬ。
残すチャンスは今日の弥彦。
寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメントG1の初日だ。
上野氏は福島で儲けて弥彦の決勝(15日)に回りましょうよとまで云う。
座して死を待つ週末なら、乾坤一擲、今日撃って出るしかない。
在宅熱中症寸前の博打屋は涼を求めて京王閣に出向いた。
チャンスは1レースのみ。
10・11・12Rの何れかだが、博打屋は10R人気の平原・岡田を嫌い佐藤友和からの車単に託した。
しかし、南の稚拙なプレーで佐藤、平原が落車。
さあ、これからと云う位置に居ただけに何とも不満。
しかも、今の博打屋としては乾坤一擲の一矢。
万事休すで11・12Rを見て帰った。
夕方、その気満々の上野氏から明日(13日)の待ち合わせの確認があった。
郡山の門下生も楽しみにしているとの事だが、博打屋はいよいよ困った。
早朝5時30分の出発だが、3連休初日、福島1Rに間に合えば何とかなるかも知れない。
今朝も薄明かるくなる頃に目覚め、本を読んだり眠ったりの繰り返し。
夜明けと共に気温が上がるのが分かり、うつらうつらとしていても汗で目覚めてしまう。
幸か不幸か横になっている時間は長いが睡眠は浅い。
夏日とか猛暑日とかの回数はこの40年間で3倍になっているのだそうで、もはや記録記録と騒ぐのも可笑しいと云う。
つまり、記録更新は当たり前の事なのだ。
今日(12日)は「標準時間記念日」。
1886年(明治19年)のこの日日本全国の時間を統一したことを記念した日だ。
太陽が真南に位置する時を正午とすると、北海道東端と九州西端とでは1時間以上の差が生じる。
この時差をなくすために兵庫県明石市を通る東経135度の時間を「日本標準時」と定めた。
これが定められた事で日の出、日没の時差はあっても、日本全土同じ時に正午を迎える。
NHKのお昼の「ププププーン」は全国一斉に鳴る。
この東経135度の線を子午線と云う。
ここまでは小学校のおさらいか。
まだ新幹線が大阪までしかなかった時代、山陽本線で岡山まで帰る時、明石駅を通ると大きな時計があった。
客は皆腕時計を見て時間を合わせたものだ。
もし、この標準時がなかったら、日常生活は随分ややこしかっただろう。
推理小説のトリックには良かったのかも知れない。
開店休業続きの今週だったが、今日は乾坤一擲、撃って出なければならない事情があった。
週明けの月曜日、知人の上野氏が電話をよこし、七夕賞にも行っていない博打屋を案じてくれた。
古い知人だから競馬場に博打屋がいないのは異変と思ったのだろう。
どうしたんですか、の問いに、どうもこうも事情は推して測るべしと答えた。
それじゃ今週は自分も行きたいので私の車で行きましょう、1人ではしんどいのでとなった。
世が世なら渡りに船の申し出だが、7月の危機に見舞われている博打屋にその余裕はない。
まあ、何とかなりますよ、稼ぎゃ良いんですからと相変わらず前向きな男だ。
その代わり宿の手配お願いしますよとの話で、木曜(11日)に結論となった。
その後念のために福島の宿をあたって見ると軒並み満室だ。
嘘っと驚いたが、3連休で競馬客もいれば、何かのスポーツ大会もあるようだ。
至って宿事情が悪いのと、それを上回る博打屋の懐具合で昨日(11日)断念の結論を用意していた。
しかし、本人は既にその気で郡山の少林寺の門下生に宿は手配させたと云う。
ふ~む、困った。
こりゃ何とかせねばと思えども無い袖は振れぬ。
残すチャンスは今日の弥彦。
寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメントG1の初日だ。
上野氏は福島で儲けて弥彦の決勝(15日)に回りましょうよとまで云う。
座して死を待つ週末なら、乾坤一擲、今日撃って出るしかない。
在宅熱中症寸前の博打屋は涼を求めて京王閣に出向いた。
チャンスは1レースのみ。
10・11・12Rの何れかだが、博打屋は10R人気の平原・岡田を嫌い佐藤友和からの車単に託した。
しかし、南の稚拙なプレーで佐藤、平原が落車。
さあ、これからと云う位置に居ただけに何とも不満。
しかも、今の博打屋としては乾坤一擲の一矢。
万事休すで11・12Rを見て帰った。
夕方、その気満々の上野氏から明日(13日)の待ち合わせの確認があった。
郡山の門下生も楽しみにしているとの事だが、博打屋はいよいよ困った。
早朝5時30分の出発だが、3連休初日、福島1Rに間に合えば何とかなるかも知れない。