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Channel: 梶山徹夫の『愁思符庵日記』
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『羅(うすもの)や』

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連日猛暑日(10日)。


目覚めた時から4日連続の猛暑日タイ記録の予感はあったが、案の定予想を裏切らなかった。


咳き込んで痰が出ると言う症状が治まらないのが少々気になるが、この暑さで大風邪にならないで済んでいるのかも知れない。


早朝、福岡へ飛び小倉記念病院に向かった仕事人・外弟子はチームSの冠動脈バイパスオペに加わった。


14時開始のオペは2時間16分で終了、その後症例カンファレンス参加予定も、手技を見たいとの要請で急遽デモンストレーション・オペを追加し、弁置換を行ったそうだ。


普通の冠動脈バイパスとは言え、チームSならではの進化するオペの披露だから、事前に緻密なシミュレーションが行われていたと聞く。


その為の先週のWIN5予報の休みだったようだ。


その後、一部の現地Dr.との懇親予定が思わぬ展開。


他科スタッフも加わり院内講堂での立食パーティーに早変わり。


コンピニ調達の食べ物や出前の寿司やビザ、蕎麦など手際良い仕立てに、さすが国内屈指の小倉記念病院循環器らしいスマートさを見たそうだ。


チームSのサイレンス・オペはギャラリーたちの関心を集めたようで、仕事人とDr.須磨とのアイコンタクトを見逃さなかったナースから、まばたき3回の種明かしを求められたと言う。


Dr.南淵は顔が売れているのでモテモテであったようだ。

この病院には慈恵のイレブンズだったDr.田中もいるのだそうだ。


今日(10日)は福岡泊まりで明日に備えるようだが、九州が初めてと言う仕事人・外弟子も博多の夜を見ることもなくダウン。


パーティーで明太子が食べられたので満足だったとの報告だ。


せっかくなのだから、小倉競馬場位見てくれば良いと思うのだが、開催中でないのが気の毒だ。


猛暑日を『愁思符庵』で籠城の博打屋は開店休業の我が身の不甲斐なさを噛み締めながら、せめて在宅熱中症を避けるべくシャワー三昧。


『羅(うすもの)をゆるやかに着て崩れざる』(松本たかし)


「羅」と言うのは晩夏の季語で「絽(ろ)」「紗(しゃ)」「薄衣(うすぎぬ・うすごろも)」「軽羅(けいら)」「綾羅(りょうら)」などとも言う。


絹や紗など透けて見えるほど薄い絹地で仕立てた夏の着物の事だ。


こんな着物姿で京都鴨川の川床で鱧を頂くなんて図を想像するだけで、ああ~ニッポンの夏!とため息が出る。


晩夏となっているが、初秋の8月もこの着物は着るそうだ。


因みに着物の一年のめぐりは「袷(あわせ)=5月まで」「単衣(ひとえ)=6月更衣」「羅(うすもの=7・8月)」「単衣=9月」「袷=10月秋の更衣」


昨今、着物が日常的でないので、こうした言葉も疎くなるばかりだ。


しかし、「羅」と呼ぶには憚るが、最近の若い女性によく見かけるレースのカーテンみたいなスカート、あれも安っぽいながら「薄物(うすもの)」と呼び名は同じかも知れない。



昔は洋箪笥の上に飾ってあるガラスのケースの中の可愛らしいフランス人形がはいていたヒラヒラのスカートだ。


或いはハレリーナがはく幾重にも重ねた透き通った短いスカートだ。


それをだ、今の若いね~ちゃんたちは、可愛い可愛くないを問わずはいている。


薄く短いだけにドキッとさせられるが、どう逆立ちしたって美しくない。


百歩譲って流行りなのだから許してあげてと言うなら、先に挙げた句のように羅=薄物を着こなす所作を身に付けて貰いたい。


羅を着こなすには句が言うように「ゆったりと、きちんと」していなければならない。


嗚呼~それにしても川床での鱧の洗い、食べたいではないか。


余りの暑さに鴨川を思いながら我が多摩川に夕方行ってみた。


久々の多摩川べり散策だ。

京王相模原線が京王多摩川駅を過ぎると多摩川を渡る鉄橋がある。


次の駅が京王稲田堤で博打屋の居住地だ。


鉄橋の向こう岸に京王閣競輪場が見える(写真)。


この岸辺に嘗て渡し舟があったが、今は茶屋が一軒あるのみ(写真)。


川岸で涼をとる常連客の集まりで、茶と言うより飲み屋の風情(写真)。


一度ビールでも飲みたいと思うのだが、今日は一銭も持たずに出掛けた。


仕方なく釣り人の若者を眺めていた。


夕刻の川面に小魚がぴょんぴょん跳ね、釣りには良い時間帯。


ルアー釣りの青年はせっかくの休日の楽しみ、何とか釣りたいと博打屋の期待にも応えようと何度もルアーを投げ込んだ。


19時過ぎまで粘ったがとうとう釣れず、刻々と色を変える夕闇の多摩川の写真を2人して撮った(写真)。


ルアー情報ではここはポイントと紹介されているそうだ。


光フレッツの営業だそうで各地を移動すると言う。


この仕事に入るまではパチンコ店員だったそうで、まさか自分が営業などしようなどと思っていなかったと言う。


何の知識もなく入った仕事だと言うが、ようやく派遣の立場から脱すると言っていた。


研修は受けたが、実際の店舗に行くと何の役にも立たず、先輩たちも自分の事が精一杯で教えて貰うなどとんでもないことだったそうだ。



叱られっぱなしの日々だったらしい。


釣りは良いですよ、道具さえ揃えたら後は殆んど金はかかりませんから、と今日も飲料代だけですと笑っていた。


何だか、今の若者の象徴のような青年のように思えた。


博打屋の問に何倍もの勢いで答えてくれるところは、さすがに営業で鍛えられた痕跡はあった。



『多摩川の川床と呼べ渡し跡』(愁思符庵)

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