咳が治まらず痰も出る。
こんな時期に困ったものだが、肺にカビでも生えたか?
部屋の温度は朝から鰻登りで完全な温室状態。
おそらく外気より遥かに高いだろうから35度以上だ。
それでもクーラーを入れる気にはならない。
扇風機で何とか過ごした午前中だ。
外の方が涼しいので上原さんの田んぼに稲の生育を見に行った(写真)。
『愁思符庵』の稲よりやはり緑が濃い(写真)。
玄関壺にオニユリを活けてみた(写真)。
竹挿しにも田んぼから花を頂いて来た(写真)。
前のお宅の塀からブルーベリーがはみ出しており、既に熟れ始めている(写真)。
毎朝幾つか摘まみ食いさせてもらっている。
窮地を迎えている今週だが、暑さと窮乏でダブルピンチ。
おまけに咳き込みが加わりトリプルピンチ。
花でも活けて気を紛らわせるしかない。
今日の悩みはまだある。
何週間か前に誘いを受けていた麻雀の日だ。
日本出版社の矢崎さんから誘いを受けた時はまさかこんな窮状は予想していなかったので快諾しておいた。
しかし、あろうことかの7月の苦境。
負の連鎖は博奕稼業の宿命といえ、博打屋の命運も事ここに尽きたの感。
断ろうかと思ったが、それじゃ「今度今度」の社交辞令で実が伴わない。
せっかくの前もっての企画、「今度とお化けは出た試しがない」になりかねないので出向く事にした。
日本出版社はかれこれ1年前矢崎氏の健康上の問題もあり、自らの手で整理された。
しかし、残務整理を含めまだ何年かは経理上の仕事は存続する。
以前から博打屋に見せたいものもあるから会社に顔を出すよう電話の度に誘われていた。
伝統ある出版社だけに倉庫に眠る多数の生原稿や収集書籍など、興味深いものが沢山整理されていると言う。
特に『話の特集』に寄稿した著名人の生原稿は膨大ながら整理分類されており、今では見られない手書きの原稿にお目にかかれる(写真)。
今日訪ねて興味深かったのは矢崎氏20代の頃、国文学者・作家の物集高量(もずめたかかず)を取材したテーフだ。
物集高量は1879年から1985年を生きた人で106才の長寿を全うした。
当時の東京都の最高齢者だったので時の都知事鈴木俊一から弔辞があったそうだ。
博打屋30半ばの頃だが、そのテープは100歳を迎える前にインタビューされたもので矢崎さんの声も若い。
それをテープ起こしした本が『百歳は折り返し点』(日本出版社・写真)だ。
博打屋は記憶の彼方にこの人物の顔がある。
確か『徹子の部屋』だと思うが、確かめると3回出ているそうで、記憶にあるのは100歳を迎えた時の番組のようだ。
むさ苦しい風貌の老人だったが、あれが江戸弁と言うのだろうかと思ったものだ。
矢崎さんに言わせると、この時は本の宣伝も必ずして下さいよと念を押していたのだが、分かった分かったと言いながらいざ本番では一言も触れない。
気を効かせた黒柳さんが「先生今度この本をお出しになられたんですよね」と仕向けると、「そんなもん、売れりゃしないよ」と言ったそうな。
宣伝するのを恥ずかしいと思ったようだが、矢崎さんはムッとしたそうだ。
国文学者としての堅苦しさから博打屋は物集高量の「も」の字も知らない当時だったし今もそうだが、今日矢崎さんに聞いて様々な事が分かった。
物集高量については話せば長くなるのでお調べ頂きたいが、この人の奥さんが矢崎泰久・泰夫の父寧之氏の姉なのだそうだ。
つまり、父方の叔母さんのご主人。
その叔母さんは先に亡くなり、晩年は矢崎家の家作に住んでいたそうだ。
その家の庭で亡き妻が保管していた男たちからの手紙を燃やしながら涙している物集高量の姿を矢崎さんは今も忘れられないと言う。
物集高量は幼少時病気が元で片足が不自由の身となっていた。
これを機会に物集作品を読んでみたいが、きっと難解だろう。
面白いのは父寧之氏と菊池寛との交遊の方だが、特に菊池寛の馬係のような存在でもあった先代社長寧之氏は馬好きだったそうだ。
晩年、病身の寧之氏を背負って競馬場に行った話しは聞いたことはあるが、兄の泰久氏がそのような事をしたとは聞かない。
やはり、弟の方が優しかったのか。
泰久氏は春の東京開催で競馬場で会った。
80歳になろうとする泰久氏だが、競馬も現役で先般『競馬狂想曲』を上梓されている。
社長の泰夫氏は健康を害して競馬への執着心が無くなったと言う。
たまに麻雀する位だが、そのゲーム性を楽しむのが好きだと言う。
その麻雀を久々にやることになって、その前に会社でしばしのお宝拝見となった今日(9日)の昼下がりだった。
しかし、夕方2人して出向いた雀荘には既にメンバーが待ち構えていた。
定刻2~3分遅れで武蔵・小次郎の関係と相成った次第。
負けられない事情の博打屋だし、負けた事のない相手だったのだが、あろうことか一度もトップの取れない5回戦。
遅れて行った我々2人が丁度同じずつ支払いに回った。
う~ん、こんな筈じゃ無かったのにと、ドッと疲労が襲う。
ド壺にはまるとはこの事か。
雀荘を出ると都会の夜の喧騒が熱風と共に博打屋をねっとりと包む。
ふと、去年死んだ知人の女房の声が聞こえてきた。
「梶山さん、み~んな貧乏が悪いのよ」
彼女の酔った時の口ぐせだった。
そうだよな~、金の無いのも少しは切ないことだよなと博打屋は夜空を見上げて呟いた。