清々しい秋の日の朝(3日)。
上原さんの畑に作られた稲架(はさ)が朝日に輝いている(写真)。
玄関の磨りガラスを通して、その光が射し込んで、障子を白いスクリーンのように明るくする。
『愁思符庵』の朝の始まり。
今日(3日)は10回目の神経ブロックの予約日。
午後からの予定があったので早目に出向いたが、今日は混んでいた。
来週、麻酔科のDr.が学会でアルゼンチンに行くそうで、今日、明日に患者が大集合なのだろう。
少し夜中の痛みによる目覚めが減ったと報告したら、そうだろう、と言わんばかりの笑みを浮かべ、間が空くので多めの薬を処方してくれた。
就寝時だけだったガバペンを毎食後に増やしたところに、留守を前にした匙加減が見られた。
学会と言えば聞こえが良いが、場所がアルゼンチンでしょ、バカンス半分じゃないの?と冷やかすと、他の患者からも言われるようで、ハイハイ、バカンスバカンス、そう言う事にしときましょうと笑う。
でもね、こうみえても若輩ながら、ペインクリニックの会長なんですよ、と照れくさそうに言う。
今が会長なのか、今度なるのか、どこの学会なのかよくわからないが、本人が続ける。
何で地球の裏側かと言うとね、我々のような△流大学は、アメリカやヨーロッパなど東大やら何やらが主流のところでは中々機会に恵まれないんだわ。
だからね、この際名前を売り出す為にも一肌脱ごうかなと。
ほほっ~、そりゃ良いチャンスじゃないですか、先生結構出来るんですね、と言うと満面の笑みを見せていた。
日本の聖マリアンナにDr.Nありと、地球の裏側から発信するわけですね、やるじゃない、その内先生も、ひとーつ、ふたーつ、みぃーつ、・・・ななーつ、ハイ落ちた~になるのね、と言うと、大丈夫、梶山さんは落としゃしないからと笑っていた。
順番ですよ、順番と、学会行きを謙遜していた。
いつものように神経ブロックを終え、登戸の薬局で薬を手にしたのが13時。
午後の予定がズレ込んでしまった。
立川競輪の台和紀は間に合わない。
先日傍聴した覚醒剤前科11犯の判決も13時で間に合わない。
諦めて立川本場開催の決勝に専念することにし、立川に向かった。
登戸は川崎・立川の中間にあり、どちらに向かうかで博打屋の商いも運の分かれ目と言うケースはよくある。
人生、一瞬一瞬の選択が全てであり、賭けである。
今日(3日)の博打屋は立川を選んだ。
車中で見た7R台和紀は前を任せた岸澤が自分だけ届く捲りで付ききれなかった。
う~ん、難を避けたかなと納得。
決勝は新潟行きを意識して稲川から買ったが、予想を裏切って桐山が先行したので、その時点で外れを覚悟した。
初日の脚を見たばかりに、勝った飯島則之は一円も買っていなかった。
先行すると思った木暮・飯島に上手く走られた。
併売の大垣12Rが、立川終了後に敗者復活戦のように残されていた。
優秀戦で着順に関係なしで、明日(4日)の準決勝フリーパス。
空商い続きで収支が悪い。
手を出すべきか、出さざるべきか。
このままでは明日の新潟がおぼつかない。
えい!やあ!の気合いで少しだけ平原・諸橋・浦川のライン決着を買って見ていた。
願ったりの平原捲りでライン決着かに見えたが、ゴール前諸橋が平原を捉え、人気の浅井が3着、浦川4着と決まった。
浅井3着がいなければと、レバタラを一人ごちながらシネマ通りの半博徒。
今日は午後から少しふらつきと体の熱さを感じていた。
神経ブロック後の症状だが、夕方ふらつきは強くなる一方。
夜、新潟のホテルをキャンセルし、明日(4日)の新潟行きは断念した。
体調良ければ久々、ムーンライト越後の夜行旅をしたかったが、まだ体が許しそうにない。
明日(4日)は立川での、二足の草鞋、二兎追うものだが、二兎を得る、としたいが。