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Channel: 梶山徹夫の『愁思符庵日記』
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『四十九日法要』

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暑い日々が続き、夏の朝らしい蝉の鳴き声が復活した(22日)。


ツクツク法師の声が混じっている事が、暦の上の秋を感じさせる。


今日は先月亡くなった知人馬主・高山嘉一氏の四十九日法要。


早くから案内を受けていたので、それこそ万障繰り合わせてでも行かねばならぬ。


疱疹の広がりが止まったので収束かいなと甘く見ていた帯状疱疹だが、どっこい、上半身左半分を鈍く、時にピリリと痛みが襲う。


腕はズシリと甘だるい痛みと痺れでだるいことこの上ない。


この痛みは発症時にはなかったものだ。


痛み止を飲んでこの痛さだから、薬のない時代を思うと泣き言は言っておられないのだが。


週初めの入院勧告の症状では、今日の法要参加に赤信号が灯ったが、何とか体の方は持ちそうだ。


悩ましいのは懐の方で、昨日(21日)の空商いがズシリと堪える。


今日こそが負け時の深谷だと思うが、肝腎な時に車券が買えない。


法要は11時からだが、その後納骨や会食など、1日仕事になるのが予想されていた。


忌日法要は死後7日毎に49日まで行う。


49日は来世の行き先が決まる重要な日となる。


故人の成仏を願い、極楽浄土に行けるように法要を営むのが四十九日法要だ。


元禄12年(1699年)開山の歴史をもつ大澤山龍雲寺で法要は行われた。


親族、社員など60名を越す追善供養は、読経・焼香・法話と進められた。


その後、納骨の為近くの寺所有墓地に移動し、納骨式が行われた。


高山氏は生前自らの墓を手配し、母親と共に入る段取りを済ませていた。


今回は母親の納骨と高山氏の納骨が同時に行われた。

墓石にトーア牧場のロゴマークが彫り込まれていた(写真)。

昼下がりの炎天下、参列者は新しい墓に納まった高山氏を見届け、会食場に向かった。


会場を聞いていなかったのだが、着いてみて納得した。


原宿の南国酒家は高山家御用達の店で、博打屋も何度かここでご馳走になった。

高山氏が好きだったと言うメニューにしたと喪主の長男仁一氏の挨拶。


故人の遺影と共に宴席は賑やかに振る舞われた(写真)。


これだけ盛大な追善供養をして貰えば、高山氏も間違いなく極楽浄土へ行かれただろう。


『高雲院駿岳嘉心禅居士』

馬が好きだった故人らしく、駿の字を入れた立派な戒名。


冥福を改めて祈る1日だった。

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