何時もながらの気だるい週明けも、陽気に助けられて軽やかに起き出せる。
寒暖差はあろうが首都圏は春本番突入の弥生最終週になりそうだ。
今日は彼岸明け。
沈丁花の香り漂う夜空に下弦の月が妖しく輝く。
7日間の「彼岸」も今日で終わり、明日からは再び「此岸」の凡夫に戻る。
『極楽を見る暇もなし彼岸明け』(愁思符庵)
昨日中山で名古屋土産の赤福を頂いた。
3日間競馬の中日、土曜の中京に遠征した馬三郎の加藤トラックマンが買ってきてくれた。
『到来の赤福もちや伊勢の春』(正岡子規)
春の日差しの中、洗濯を終えて頂くと包装紙の裏にこの句が印刷されていた(写真)。
赤福には日付入りの栞が入っておりこの日(22日)の「伊勢だより」は二見が浦のさざえのつぼ焼き。
東の江の島、西の二見ケ浦が発祥の地と伝えている。
何年か前の不祥事からの再生か、日付を厳格にしたよだ。
「到来」と言っても分かる人が少なかろう。
少なくとも中山や府中のパドックに馬を見に来る若手のトラックマンたちには分からぬかも知れない。
「到来ものですが」とか「お持たせですが」と言って、他人さまから頂いたものを右から左に出す時に断わる言葉使いは今では余り聞かれない。
博打屋も子規のように「到来もの」で春を味わった。
その加藤君が昨日のパドックで、中京土産の赤福以外にゴールドシップは逆立ちしても負けないと関西トラックマンに聞き込んで来たと言う。
一抹の不安を抱いていただけに、ならばゴールドシップ頭で行くかと馬券を買った。
他の2頭の休み明け馬を2着に入れバンデを3着に加えた。
結果アドマイヤラクティが2着に割って入ってくれたので安いながらも好配当となった。
レース前のパドックで博打屋が「ヤバイぞ!徳俵に足がかかっているんだから」と泣きを入れると加藤君がつかさず答えたものだ。
「えっ?梶山さん、人生で土俵に上がってたんですか」だと。
しばし絶句したが、中々上手い事を言う。
確かに土俵に上がっていない人生かも知れぬ。
良いこと言うねぇカトちゃん!の心境だったが、待てよと答えた。
良いじゃないか、「人生いつも土俵下」ってのも。
競馬予想マスコミも以前と違い世代交代が顕著。
媒体も専門紙だけの世界ではなくなり、様々なツールが登場し予想マスコミの勢力図が変貌している。
そうした中で若い予想記者やトラックマンが意気揚々としている。
パドックに馬を見に来るトラックマン達も各々の立場で専門家としてTVや新聞や場内イベントで名を売っている。
予想記者として活躍の場を広めるのは良いことだか、その事が人生の土俵と思われても困る。
加藤君は中堅処となりつつあるので、人生の土俵をそんな意味で言ったのではないが、競馬記者達には専門家と見なされる慢心と甘えが混在するタイプが多い。
そんな中で、パドックに馬を見に来る記者たちは少なからず前向きだ。
予想と目の前の馬と馬券との狭間の中で、自問自答し研鑽する。
現場百回と言う事件捜査のイロハじゃないが、予想業者の本懐を全うするなら、せめてその位の努力が必要。
今日(24日)は暖かさに誘われ西武園初日に出向いた。
月末週、気持ちは追い詰められる。
A級戦でさほどの魅力はないが昨日の残業。
着いた7R、固いライン車券1-7-4,2860円で手堅くスタート(写真)。
しかし、ここからが酷い。
8・9・10Rが1060円、760円、2580円。
全てライン決着で面白くもおかしくもない。
今日の西武園は3連単5千円台が1レースだけで後はそれ以下と言うショッパイ博奕。
そうと分かってりゃ手始めのライン決着から全て転がしだったのだか、それは帰りのバスのオヤジたちのボヤキ。
無駄な足掻きの1日だったが、これも現場百回か。
日が長くなったのだけが、せめてもの救いだ。