夜中に寒さを覚え眠りが浅くなった(4日)。
いくらなんでも少し早すぎゃしませんかと、一気に秋めいた夜の気配にもの申したい。
6時起きの週明けで、博打屋の始動は常日頃より早い。
外は今にも降りそうな空模様で、天気予報も曇りから雨を伝えていた。
涼しいを通り越して肌寒い1日を覚悟しなければならなかった。
昨日(3日)で夏のローカル競馬が終了し、何だか心残りの今年の夏であった。
思うところあり、今年は充電の夏として、旅打ちを控えてしまった。
もっとも、潤沢なる資金があれば打って出ただろうが、上半期の博打稼業の陰りが殊の外尾を引いた。
財力は元より、体力、気力の3力が脆弱になると、博打稼業は終わりである。
今夏欠けたのは財力だけと思いたいが、体力、気力にもそれが及ぶのが一番危惧されるところだ。
それにしても、夏競馬は難しかったように思う。
幸か不幸か、競馬を冷静に見る機会が多く、競馬予想メディアがどの程度のものかを知る機会となったが、いつの間にかこんなに低レベルになったのかと、いささかガッカリした。
もっとも、競馬ファンはさほどの選択肢もない中で垂れ流しの競馬番組を見るしかない訳だが、それでも何とか遣り繰りして凌いでいるのだから凄いなと感心する。
ファンは競馬予想メディアの活用の仕方が上手いのだと再認識した。
ともあれ、今夏の不完全燃焼は、秋競馬で辻褄を合わせるしかなさそうだ。
有終の美が飾れなかった昨日の最終日だったが、向日町競輪平安賞決勝も、小倉竜二優勝までは良かったが、四国ラインのワンツースリー決着までは買い目が回らなかった。
最後まで、もう少しでしたで賞の博打稼業となった。
今日(4日)は視覚障害者向けのデイサービスのあり方についての自由研究の続きてある。
一口にデイサービスと言っても様々なサービス形態がある。
視覚障害者が立ち上げた、視覚障害者の為の、視覚障害者によるデイサービスとはどうあるべきかを、実際の日常を知ることで確認して行く必要もある。
他の施設で実行出来ないサービスとは何かを、模索するのが課題でもある。
博打屋が出来ることは限られているが、広域に渡る利用希望者を、いかに合理的に融合するかのお手伝いもある。
福祉有償移送の側面的支援もその一つと言える。
これをクリアすることで、合理的な稼働を実現することが出来る。
何はともあれ、実践あるのみの現状が目の前に広がる。
障害者を身近で見ていると、多くの人が輝いているかに映る。
「艱難(かんなん)汝を玉にす」の言葉が思い付く。
地中から掘り出された粗玉が磨かれて美しい玉になるという意味から、人は困難や苦労を乗り越える事で立派な人間に成長すると言う。
確かに、障害者に接するとそう思わされる場面が多い。
省みて我が身を思うと、これはまた、何とも言い様のない艱難の中だが、玉になりきれない定めを背負っている。
虫の音も声を潜める夜の冷気が、そんなことを思わせる。
いくらなんでも少し早すぎゃしませんかと、一気に秋めいた夜の気配にもの申したい。
6時起きの週明けで、博打屋の始動は常日頃より早い。
外は今にも降りそうな空模様で、天気予報も曇りから雨を伝えていた。
涼しいを通り越して肌寒い1日を覚悟しなければならなかった。
昨日(3日)で夏のローカル競馬が終了し、何だか心残りの今年の夏であった。
思うところあり、今年は充電の夏として、旅打ちを控えてしまった。
もっとも、潤沢なる資金があれば打って出ただろうが、上半期の博打稼業の陰りが殊の外尾を引いた。
財力は元より、体力、気力の3力が脆弱になると、博打稼業は終わりである。
今夏欠けたのは財力だけと思いたいが、体力、気力にもそれが及ぶのが一番危惧されるところだ。
それにしても、夏競馬は難しかったように思う。
幸か不幸か、競馬を冷静に見る機会が多く、競馬予想メディアがどの程度のものかを知る機会となったが、いつの間にかこんなに低レベルになったのかと、いささかガッカリした。
もっとも、競馬ファンはさほどの選択肢もない中で垂れ流しの競馬番組を見るしかない訳だが、それでも何とか遣り繰りして凌いでいるのだから凄いなと感心する。
ファンは競馬予想メディアの活用の仕方が上手いのだと再認識した。
ともあれ、今夏の不完全燃焼は、秋競馬で辻褄を合わせるしかなさそうだ。
有終の美が飾れなかった昨日の最終日だったが、向日町競輪平安賞決勝も、小倉竜二優勝までは良かったが、四国ラインのワンツースリー決着までは買い目が回らなかった。
最後まで、もう少しでしたで賞の博打稼業となった。
今日(4日)は視覚障害者向けのデイサービスのあり方についての自由研究の続きてある。
一口にデイサービスと言っても様々なサービス形態がある。
視覚障害者が立ち上げた、視覚障害者の為の、視覚障害者によるデイサービスとはどうあるべきかを、実際の日常を知ることで確認して行く必要もある。
他の施設で実行出来ないサービスとは何かを、模索するのが課題でもある。
博打屋が出来ることは限られているが、広域に渡る利用希望者を、いかに合理的に融合するかのお手伝いもある。
福祉有償移送の側面的支援もその一つと言える。
これをクリアすることで、合理的な稼働を実現することが出来る。
何はともあれ、実践あるのみの現状が目の前に広がる。
障害者を身近で見ていると、多くの人が輝いているかに映る。
「艱難(かんなん)汝を玉にす」の言葉が思い付く。
地中から掘り出された粗玉が磨かれて美しい玉になるという意味から、人は困難や苦労を乗り越える事で立派な人間に成長すると言う。
確かに、障害者に接するとそう思わされる場面が多い。
省みて我が身を思うと、これはまた、何とも言い様のない艱難の中だが、玉になりきれない定めを背負っている。
虫の音も声を潜める夜の冷気が、そんなことを思わせる。