朝から雨で梅雨らしさが戻ったようだ(21日)。
梅雨前線が太平洋岸に押し上げられているが、その前線にそって雨雲が北上しているので、太平洋側の地域は西から雨が強くなってきている。
関東地方の雨雲通過は午後になるが、九州や東海地方では朝から昼にかけて風雨を伴う台風並の荒れた天気になり、土砂崩れなどの被害をもたらしている。
今日(21日)は「夏至」であるが、雨雲に覆われた空からは太陽が見られない。
「夏至」は二十四節気の一つで、一年でもっとも昼が長い日だ。
太陽の黄経が90度の北回帰線真上に来た時を指すが、北半球では太陽が最も高い位置で輝く。
太陽が最も北に片寄ると言う事で、日照時間(昼)が最も長くなる。
北極に近い北寒帯地方では、太陽が地平線に没することがなく、白夜が続く。
反対に、南半球の南寒帯地方では、太陽が地平線上に出ることがなく、長夜と呼ばれる現象となる。
日本は梅雨の最中だから、今日(21日)のように実際の日照時間は短いことが多い。
東京の場合、昼が最も短い冬至と比べると4時間50分も昼間が長いが、統計によると、太陽を見る時間は冬至の日より1時間あまり少ないと言う。
しかし、曇天ながらも日がなかなか暮れないと言う実感は夏至ならではのもの。
今日(21日)も午後過ぎ、雨雲の通過に伴い強風と雨で家が丸ごと洗われるような荒れ方となった。
しかし、4時前後に雨は上がり、風だけが残ったが、その風も止み、夕方の空には雲間から日差しが溢れてきた。
長い黄昏の日となったのだが、この晴れ間が博打屋にとっては仇となってしまった。
余りの風雨の強さに、京王閣への参戦を諦めて晴耕雨読を決め込んだ午後だったが、鳴りを潜めた風雨に気を取り直し4時に京王閣に出向いた。
平塚・防府競輪の決勝がどちらも間に合う時間だった。
昨日(20日)スマホ観戦で準決勝を見ていたので、平塚はパーキンス、防府は野原雅也と決めていた。
雨上がりとは言え、それまで大荒れだっただけに、京王閣場外も人の姿がまばらだった。
尤も、残りは決勝だけだから既にお帰りのファンも多かったのだろう。
間に合った防府は野原から、続く平塚はパーキンスから買ったが、何れも3着を外し飛び込み自殺となってしまった。
どちらも3着に地元の売れていない選手が入り、13060円、4680円と高配当の部類だったが、博打屋は少し慌てて買いすぎたか。
余計な事をしに来たなと、外を見ると雲間から夕陽が溢れていた。
嗚呼「夏至」の黄昏かと、増水した多摩川を電車から眺めながら帰宅した。
思えば、日本では今日の「夏至」は余り意識されていないように思う。
梅雨の最中であることから、今日のように太陽が最も高く昇ると言っても雨雲が遮る事が多い。
ヨーロッパでは農民が夏至祭りを行うので、この日は重視されている。
シェークスピアの戯曲『夏の夜の夢』は夏至の前夜のアテネの森が舞台。
明け急ぐ夏の夜に妖精と人間たちが夢のような恋物語を繰り広げる。
この原題は「A Midsummer Night’s Dream」で「ミッドサマー」とは夏至の事だ。
ヨーロッパの夏至祭りがこの戯曲の背景にある。
日本では『枕草子』で清少納言が「夏の夜」を誉めている。
「夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。」と夏の「短夜」を愛で惜しんでいる。
確かに、昼の長いのを歓迎するのではなく、夜の短さを惜しんでいるところが、暑苦しい日中が長い「夏至」が日本では行事にならない所以であろうか。
宝塚記念を控え、週中の資金調達予定の決勝だったが、商いならず。
日記も周回遅れとなる始末。
発疹も収まり、微かな痒みが少し残るだけが救いか。
天文学的にはこれから日が徐々に短くなるのだが、生活実感としてはこれからが夏本番で、まだまだ日が長く感じる。
梅雨前線が太平洋岸に押し上げられているが、その前線にそって雨雲が北上しているので、太平洋側の地域は西から雨が強くなってきている。
関東地方の雨雲通過は午後になるが、九州や東海地方では朝から昼にかけて風雨を伴う台風並の荒れた天気になり、土砂崩れなどの被害をもたらしている。
今日(21日)は「夏至」であるが、雨雲に覆われた空からは太陽が見られない。
「夏至」は二十四節気の一つで、一年でもっとも昼が長い日だ。
太陽の黄経が90度の北回帰線真上に来た時を指すが、北半球では太陽が最も高い位置で輝く。
太陽が最も北に片寄ると言う事で、日照時間(昼)が最も長くなる。
北極に近い北寒帯地方では、太陽が地平線に没することがなく、白夜が続く。
反対に、南半球の南寒帯地方では、太陽が地平線上に出ることがなく、長夜と呼ばれる現象となる。
日本は梅雨の最中だから、今日(21日)のように実際の日照時間は短いことが多い。
東京の場合、昼が最も短い冬至と比べると4時間50分も昼間が長いが、統計によると、太陽を見る時間は冬至の日より1時間あまり少ないと言う。
しかし、曇天ながらも日がなかなか暮れないと言う実感は夏至ならではのもの。
今日(21日)も午後過ぎ、雨雲の通過に伴い強風と雨で家が丸ごと洗われるような荒れ方となった。
しかし、4時前後に雨は上がり、風だけが残ったが、その風も止み、夕方の空には雲間から日差しが溢れてきた。
長い黄昏の日となったのだが、この晴れ間が博打屋にとっては仇となってしまった。
余りの風雨の強さに、京王閣への参戦を諦めて晴耕雨読を決め込んだ午後だったが、鳴りを潜めた風雨に気を取り直し4時に京王閣に出向いた。
平塚・防府競輪の決勝がどちらも間に合う時間だった。
昨日(20日)スマホ観戦で準決勝を見ていたので、平塚はパーキンス、防府は野原雅也と決めていた。
雨上がりとは言え、それまで大荒れだっただけに、京王閣場外も人の姿がまばらだった。
尤も、残りは決勝だけだから既にお帰りのファンも多かったのだろう。
間に合った防府は野原から、続く平塚はパーキンスから買ったが、何れも3着を外し飛び込み自殺となってしまった。
どちらも3着に地元の売れていない選手が入り、13060円、4680円と高配当の部類だったが、博打屋は少し慌てて買いすぎたか。
余計な事をしに来たなと、外を見ると雲間から夕陽が溢れていた。
嗚呼「夏至」の黄昏かと、増水した多摩川を電車から眺めながら帰宅した。
思えば、日本では今日の「夏至」は余り意識されていないように思う。
梅雨の最中であることから、今日のように太陽が最も高く昇ると言っても雨雲が遮る事が多い。
ヨーロッパでは農民が夏至祭りを行うので、この日は重視されている。
シェークスピアの戯曲『夏の夜の夢』は夏至の前夜のアテネの森が舞台。
明け急ぐ夏の夜に妖精と人間たちが夢のような恋物語を繰り広げる。
この原題は「A Midsummer Night’s Dream」で「ミッドサマー」とは夏至の事だ。
ヨーロッパの夏至祭りがこの戯曲の背景にある。
日本では『枕草子』で清少納言が「夏の夜」を誉めている。
「夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。」と夏の「短夜」を愛で惜しんでいる。
確かに、昼の長いのを歓迎するのではなく、夜の短さを惜しんでいるところが、暑苦しい日中が長い「夏至」が日本では行事にならない所以であろうか。
宝塚記念を控え、週中の資金調達予定の決勝だったが、商いならず。
日記も周回遅れとなる始末。
発疹も収まり、微かな痒みが少し残るだけが救いか。
天文学的にはこれから日が徐々に短くなるのだが、生活実感としてはこれからが夏本番で、まだまだ日が長く感じる。