寝起きが楽になった春の穏やかな朝が続く(27日) 。
「春眠暁を覚えず」の漢詩を思うなら、寝起きは楽ではなく、眠くて辛いはずだが、孟浩然(もうこうねん)の詩『春暁(しゅんぎょう)』から生まれたこの「春眠」と言う季語の意味は少し違うようだ。
季語としては「春の眠り」「春睡」「春眠し」も同じだ。
何れも春の眠りの心地よさをたたえている。
春は暖かいのですぐ眠たくなるし、また、良く眠れる。
十分に眠れているので、決して睡眠不足や寝起きが辛いのではない。
この詩は朝寝を指しているが、昼でも夜でも春眠と言う。
因みに「春暁」を思いだそう。
『春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚えず
処処(しょしょ)に啼鳥(ていちょう)を聞
く
夜来(やらい)風雨の声
花落つること知んぬ多少ぞ』
先日、「穀雨」(20日)を迎えたが、時期的にはその頃がビッタリとくる詩であろう。
夜の間、風雨の音がしていた。
きっと、たくさんの花が散ったことだろう、と雨上がりの朝の寝床で小鳥の声に耳を傾けている様子だ。
孟浩然(もうこうねん)はひと雨ごとに暖かくなっていく春雨の風情をうたったのだろう。
それにしても、懐かしい漢詩の倒置表現ではないか。
「花落つること知んぬ多少ぞ」とは「きっと、○○したであろう」と言う表現で、「花落つること」は他の言葉にも変えられる。
『金の輪の春の眠りに入りけり』(高浜虚子)
春眠の国の入り口に、俳人はぼんやりと金の輪を見たようだ。
穏やかなまどろみではないか。
間違っても、春眠をむさぼる博打屋が、大金を首飾りにしている夢の句ではない。
昨日(26日)は卯月新月であった。
しかも、旧暦4月の始まりで、古典に出てくる卯月の季節感はこれからである。
そんな事を書いていたのだが、アップする時に失敗してガックリとした。
折しもこの国の復興大臣が度重なる失言で失脚、政治家のレベルが失墜している。
失言と言えば聞こえが良いが、本質的には知見無き故に馬脚を現したと言うべきだ。
おまけに派閥の首領、幹事長が「挙げ足を取るな」とマスコミ批判だから何をか云わんやだ。
この親ありてこの子かな、の感だが、元を質すなら自らの「忖度」疑惑さ中、挨拶の中で「忖度」とウケ狙いで喋るこの国の首相の程度問題にあろう。
『鳥なき里の蝙蝠(こうもり)』とは、正に我が国の政界模様ではなかろうか。
優秀な人材がいないところには、つまらない人物が勢力をふるって、威張っている事を言う。
蝙蝠には気の毒だが、鳥は姿かたち、鳴き声も蝙蝠より良い。
幼い頃の記憶の夕焼けの空に、低く飛び交う蝙蝠の黒いシルエットは、確かに不気味であった。
今は中々見かける事がないが、どっこい、国会に棲息していた。
蝙蝠が気に入らなければ「貂(てん)無き森の鼬(いたち)」「鼬無き間の貂誇り」「貂無き山に兎誇る」などはどうだろう。
貂(てん)や鼬(いたち)や兎の関係が分からなければ、鳥も蝙蝠も分かるまい。
ゴールデンウィークのどさくさに紛れ、「鳥なき里の蝙蝠」たちは外遊のようだが、この国の首相にはせめてこのくらいは分かるだろか。
「鮒の仲間には鮒が王」
ついでにこれはどうか。
「支持率落つること知んぬ多少ぞ」
昨日(26日)今日(27日)は取手競輪場外が立川で発売中だが、博打屋は電話投票でこじんまりと商いだ。
しかし、昨日(26日)の夕方から我がスマホに通知が来て、通信量が定量になったのでアクセスが遅くなりますとの事だ。
ついては、自動的に通信量を追加する手続きか、単発で追加する手続きをどうぞとある。
昨日(26日)は取手で少し増やしたので、函館ナイター決勝を買う予定にしていたが、既に接続は中々しない。
月末までこの状態では、少なくとも電話投票は出来ないし、レースを見ることも出来ない。
仕方なく矢野口のドコモまで夕焼け空を見ながら走った。
若葉マークのお姉ちゃんが対応してくれたが、ちょっと怪しい。
しかし、博打屋レベルにはちょうど良い親切さがまだ若葉マークにはある。
事情を話すと、ドコモだからWi-Fiが使え、ちゃんとスマホも電話投票にアクセスする。
そうか、ここでやれば繋がるのかと分かったが、明日からが困る。
仕方なく1ギガ1000円で追加手続きをしてもらった。
早速、函館ナイター決勝を買ったが、地元菊地が3着止まりで外してしまった。
取手のプラスを減らしてしまったが、明日(27日)の分は残った。
それにしても、地獄の沙汰も金次第は政治だけでなくドコモもお前もかだ。
使え使えと、スマホに代えさせて、アンタのは一番安いプランだから、ハイここまでよ、だから嫌みではないか。
どうやら、動画を見るのが一番消耗するらしいが、若葉マークに、他社に変えようかなぁと言うと、それは困りますと優等生だった。
今日(27日)は一歩も外に出ない1日となった。
ブログが消えるし、スマホも余りレースを見ると、来月早々にまた同じ現象が起きる。
これからは、ドコモに居座ってWi-Fiでレース観戦をしようかと考えた。
コーヒーもマッサージ機もあり、トイレには歯ブラシも用意してある、豪華ドコモだ。
若い兄ちゃん姉ちゃん社員が、おっさん、おばさん相手にこんな難しい機器を勧めて、何だかんだで金を巻き上げようとしている。
何でアンタら、こんな贅沢な環境で働いてるのよと言いたい。
もっと安く出来るでしょうに、つまらない所に金をかけるなと、博打屋は言いたいのだ。
「鳥なき里の蝙蝠」、この業界もそう言う事なのだろう。
「春眠暁を覚えず」の漢詩を思うなら、寝起きは楽ではなく、眠くて辛いはずだが、孟浩然(もうこうねん)の詩『春暁(しゅんぎょう)』から生まれたこの「春眠」と言う季語の意味は少し違うようだ。
季語としては「春の眠り」「春睡」「春眠し」も同じだ。
何れも春の眠りの心地よさをたたえている。
春は暖かいのですぐ眠たくなるし、また、良く眠れる。
十分に眠れているので、決して睡眠不足や寝起きが辛いのではない。
この詩は朝寝を指しているが、昼でも夜でも春眠と言う。
因みに「春暁」を思いだそう。
『春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚えず
処処(しょしょ)に啼鳥(ていちょう)を聞
く
夜来(やらい)風雨の声
花落つること知んぬ多少ぞ』
先日、「穀雨」(20日)を迎えたが、時期的にはその頃がビッタリとくる詩であろう。
夜の間、風雨の音がしていた。
きっと、たくさんの花が散ったことだろう、と雨上がりの朝の寝床で小鳥の声に耳を傾けている様子だ。
孟浩然(もうこうねん)はひと雨ごとに暖かくなっていく春雨の風情をうたったのだろう。
それにしても、懐かしい漢詩の倒置表現ではないか。
「花落つること知んぬ多少ぞ」とは「きっと、○○したであろう」と言う表現で、「花落つること」は他の言葉にも変えられる。
『金の輪の春の眠りに入りけり』(高浜虚子)
春眠の国の入り口に、俳人はぼんやりと金の輪を見たようだ。
穏やかなまどろみではないか。
間違っても、春眠をむさぼる博打屋が、大金を首飾りにしている夢の句ではない。
昨日(26日)は卯月新月であった。
しかも、旧暦4月の始まりで、古典に出てくる卯月の季節感はこれからである。
そんな事を書いていたのだが、アップする時に失敗してガックリとした。
折しもこの国の復興大臣が度重なる失言で失脚、政治家のレベルが失墜している。
失言と言えば聞こえが良いが、本質的には知見無き故に馬脚を現したと言うべきだ。
おまけに派閥の首領、幹事長が「挙げ足を取るな」とマスコミ批判だから何をか云わんやだ。
この親ありてこの子かな、の感だが、元を質すなら自らの「忖度」疑惑さ中、挨拶の中で「忖度」とウケ狙いで喋るこの国の首相の程度問題にあろう。
『鳥なき里の蝙蝠(こうもり)』とは、正に我が国の政界模様ではなかろうか。
優秀な人材がいないところには、つまらない人物が勢力をふるって、威張っている事を言う。
蝙蝠には気の毒だが、鳥は姿かたち、鳴き声も蝙蝠より良い。
幼い頃の記憶の夕焼けの空に、低く飛び交う蝙蝠の黒いシルエットは、確かに不気味であった。
今は中々見かける事がないが、どっこい、国会に棲息していた。
蝙蝠が気に入らなければ「貂(てん)無き森の鼬(いたち)」「鼬無き間の貂誇り」「貂無き山に兎誇る」などはどうだろう。
貂(てん)や鼬(いたち)や兎の関係が分からなければ、鳥も蝙蝠も分かるまい。
ゴールデンウィークのどさくさに紛れ、「鳥なき里の蝙蝠」たちは外遊のようだが、この国の首相にはせめてこのくらいは分かるだろか。
「鮒の仲間には鮒が王」
ついでにこれはどうか。
「支持率落つること知んぬ多少ぞ」
昨日(26日)今日(27日)は取手競輪場外が立川で発売中だが、博打屋は電話投票でこじんまりと商いだ。
しかし、昨日(26日)の夕方から我がスマホに通知が来て、通信量が定量になったのでアクセスが遅くなりますとの事だ。
ついては、自動的に通信量を追加する手続きか、単発で追加する手続きをどうぞとある。
昨日(26日)は取手で少し増やしたので、函館ナイター決勝を買う予定にしていたが、既に接続は中々しない。
月末までこの状態では、少なくとも電話投票は出来ないし、レースを見ることも出来ない。
仕方なく矢野口のドコモまで夕焼け空を見ながら走った。
若葉マークのお姉ちゃんが対応してくれたが、ちょっと怪しい。
しかし、博打屋レベルにはちょうど良い親切さがまだ若葉マークにはある。
事情を話すと、ドコモだからWi-Fiが使え、ちゃんとスマホも電話投票にアクセスする。
そうか、ここでやれば繋がるのかと分かったが、明日からが困る。
仕方なく1ギガ1000円で追加手続きをしてもらった。
早速、函館ナイター決勝を買ったが、地元菊地が3着止まりで外してしまった。
取手のプラスを減らしてしまったが、明日(27日)の分は残った。
それにしても、地獄の沙汰も金次第は政治だけでなくドコモもお前もかだ。
使え使えと、スマホに代えさせて、アンタのは一番安いプランだから、ハイここまでよ、だから嫌みではないか。
どうやら、動画を見るのが一番消耗するらしいが、若葉マークに、他社に変えようかなぁと言うと、それは困りますと優等生だった。
今日(27日)は一歩も外に出ない1日となった。
ブログが消えるし、スマホも余りレースを見ると、来月早々にまた同じ現象が起きる。
これからは、ドコモに居座ってWi-Fiでレース観戦をしようかと考えた。
コーヒーもマッサージ機もあり、トイレには歯ブラシも用意してある、豪華ドコモだ。
若い兄ちゃん姉ちゃん社員が、おっさん、おばさん相手にこんな難しい機器を勧めて、何だかんだで金を巻き上げようとしている。
何でアンタら、こんな贅沢な環境で働いてるのよと言いたい。
もっと安く出来るでしょうに、つまらない所に金をかけるなと、博打屋は言いたいのだ。
「鳥なき里の蝙蝠」、この業界もそう言う事なのだろう。