桜の開花宣言が出た(22日)。
いよいよ春が本物になりつつある。
風の冷たさに花冷えの日々も続くだろうが、ともあれ桜の咲く春だ。
今日は午前中久々に六本木に出向いた。
テレ朝近くのスタバで何時間か勉強をしたが、店内は外国人だらけである。
道行く若者も、すでに春休みなのか、穏やかな日差しにどことなく弾んで見える。
コーヒーをお代わりしながら、分厚いテキストを博打屋は読んで時間を潰した。
せっかくおしゃれな町に来たと言うのに居心地は良くない。
勉強に飽きたので御徒町の知人の会社を訪ねることにした。
芋洗い坂の朝日神社の隣の建築中のビルは、神社を圧迫するように高く伸びていた。

御徒町の知人の所でレースが見られる時間でもあったので、1レース分だけ入金しておいた。
会社に訪ねると、社長室近くで社員が接客中で馬鹿話が出来ない。
近くの喫茶店に出向き博打屋は直近のレースを投票した。
結果は3着を外し1万円弱の車券を外した。
時間を潰して会社に戻ると接客は終わり、社長室に入り残りのレースを見ることにした。
博打屋の電投は残金無しになったので、知人の残金で買うことにした。
投票分を払いレースを待ったが、知人も買ったようだが、博打屋の推奨には乗らなかった。
しかし、レース結果は博打屋の6点買いの結果となり、18990円の配当となった。
えっ、同じのを買わなかったの?せっかくの好配当をプレゼント出来たのにと、残念がる博打屋に配当金を先払いしてくれた。
知人の電投残高は増えているが、本人は現金を立て替えてくれたので、財布の中身は減っている。
コーヒーはご馳走させられるし、金は持って行かれるしと、何しに来たんだよと知人がぼやく。
まあまあ、まだオートレースの決勝があるでしょ、こちらはお宅の得意分野だから、ワシも乗るからと、オートレースの決勝に挑んだ。
しかし、何とか良いところを見せようとした知人の推奨は外れてしまい、余計な一戦となった。
6万円を超す結果に二人でため息だが、博打屋は思わぬ手間賃になったので、オートレースの外れは苦にならなかった。
今週は禁酒していると言う知人だから、これからと言う時間だったが帰る事にした。
うん、六本木から御徒町回りが大正解だったわなと言う博打屋に、早く帰れ帰れと言う知人だった。
『うそ云ふな ものほしがるな からだだわるな』
朝日神社で頂いた神社庁発行「生命の言葉三月号」は橘曙覧(たちばなあけみ)の家訓が記されている。
橘曙覧は文化九年(1812)から慶応四年(1868)の人で、本居宣長の門人・田中大秀に入門し、神道・国学を学び歌を詠んでいる。
正岡子規は、源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人と絶賛したと言う。
この家訓は、橘曙覧が伊勢神宮に詣でた折、五十鈴川の水を汲み帰り、これを墨にすって書き残したと言うもの。
「嘘を言ふな、物を欲しがるな、身体を怠けさせるな。」の教えだ。
今週は開店休業の日々の筈だったが、思わぬ手間になったのは、桜開花宣言のおこぼれか。
いよいよ春が本物になりつつある。
風の冷たさに花冷えの日々も続くだろうが、ともあれ桜の咲く春だ。
今日は午前中久々に六本木に出向いた。
テレ朝近くのスタバで何時間か勉強をしたが、店内は外国人だらけである。
道行く若者も、すでに春休みなのか、穏やかな日差しにどことなく弾んで見える。
コーヒーをお代わりしながら、分厚いテキストを博打屋は読んで時間を潰した。
せっかくおしゃれな町に来たと言うのに居心地は良くない。
勉強に飽きたので御徒町の知人の会社を訪ねることにした。
芋洗い坂の朝日神社の隣の建築中のビルは、神社を圧迫するように高く伸びていた。

御徒町の知人の所でレースが見られる時間でもあったので、1レース分だけ入金しておいた。
会社に訪ねると、社長室近くで社員が接客中で馬鹿話が出来ない。
近くの喫茶店に出向き博打屋は直近のレースを投票した。
結果は3着を外し1万円弱の車券を外した。
時間を潰して会社に戻ると接客は終わり、社長室に入り残りのレースを見ることにした。
博打屋の電投は残金無しになったので、知人の残金で買うことにした。
投票分を払いレースを待ったが、知人も買ったようだが、博打屋の推奨には乗らなかった。
しかし、レース結果は博打屋の6点買いの結果となり、18990円の配当となった。
えっ、同じのを買わなかったの?せっかくの好配当をプレゼント出来たのにと、残念がる博打屋に配当金を先払いしてくれた。
知人の電投残高は増えているが、本人は現金を立て替えてくれたので、財布の中身は減っている。
コーヒーはご馳走させられるし、金は持って行かれるしと、何しに来たんだよと知人がぼやく。
まあまあ、まだオートレースの決勝があるでしょ、こちらはお宅の得意分野だから、ワシも乗るからと、オートレースの決勝に挑んだ。
しかし、何とか良いところを見せようとした知人の推奨は外れてしまい、余計な一戦となった。
6万円を超す結果に二人でため息だが、博打屋は思わぬ手間賃になったので、オートレースの外れは苦にならなかった。
今週は禁酒していると言う知人だから、これからと言う時間だったが帰る事にした。
うん、六本木から御徒町回りが大正解だったわなと言う博打屋に、早く帰れ帰れと言う知人だった。
『うそ云ふな ものほしがるな からだだわるな』
朝日神社で頂いた神社庁発行「生命の言葉三月号」は橘曙覧(たちばなあけみ)の家訓が記されている。
橘曙覧は文化九年(1812)から慶応四年(1868)の人で、本居宣長の門人・田中大秀に入門し、神道・国学を学び歌を詠んでいる。
正岡子規は、源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人と絶賛したと言う。
この家訓は、橘曙覧が伊勢神宮に詣でた折、五十鈴川の水を汲み帰り、これを墨にすって書き残したと言うもの。
「嘘を言ふな、物を欲しがるな、身体を怠けさせるな。」の教えだ。
今週は開店休業の日々の筈だったが、思わぬ手間になったのは、桜開花宣言のおこぼれか。