再び暖冬が戻って来たと言うと、そうでない地域の人々には申し訳ないが、首都圏は寒の入りとも思えない気温の緩い朝(8日)。
もっとも、早朝にはそれなりの冷え込みもある。
正月行事も様々あるが、今日は「初薬師」。
毎月8・12日に行われているが、正月の縁日を「初薬師」と呼んでいる。
薬師は衆生を病苦から救い、眼病を治すと言う如来で、薬師像は通常、薬坪を手にしている。
奈良時代以降、薬師信仰は栄え、奈良の法隆寺、薬師寺、法輪寺などが有名である。
元旦に詣でると三千日分に相当する功徳があるとされている。
この1年、薬と縁が切れない博打屋だから出掛けねばならないが、我が稲田堤にも薬師さまがある。
目の衰えも加速しているのでお参りも必要だが、何年前かの元旦に詣でたのだから、まだ三千日の残りがあるはずだ。
今年は神頼みはしないつもりだと言ったら、何も欲に駆られた頼み事をしなきゃ良いではないかと知人が言う。
頼み事と願い事は違うのだそうだ。
なるぼど、博打屋の私利私欲は頼み事で、天下国家しいては世界の平安は願い事となるようだ。
今日(8日)は開催の谷間で近場の博打場がなく開店休業と決め込んだ。
昨日の鳳凰賞典決勝の顛末は返すがえす良く出来た話だと思うが、事実は竒なりで不思議なものだ。
ビギナーズラックの元会社役員が、競輪って簡単ですねと思ってくれると、博打屋は一人競輪ファンを作ったことになる。
先日来投稿を頂いている。
「今の時代でも、パドックを見ることでお金に変わるのでしょうか」と言う質問だ。
せっかくパドック派になられたのに、グリーンチャンネルのモニター派になられたようだ。
皆が皆、博打屋のように現場派で競馬が出来る訳ではない。
もし、仕事などで余儀なくモニターパドックならそれで結構ではないか。
ただし、他人の解説が耳に入るのだろうから、その辺りをどう対処するかその人のセンスの問題だろう。
まあ、グリーンチャンネルを初め、昨今の解説者に見識のある人材は皆無に近い。
それだけ人脈だけで仕事を得ている仲良しサロンの世界なのだ。
博打屋のように現場に居るとメディアがどのような事をやっているのか見る機会が希である。
その希な機会に出くわしてびっくりするするのが「えっ、この程度の人材が?」と思う事が多い。
事情でパドックに来れなくなった人なら、モニターを通じてパドックで見ていた同じ物指しで見れば良いのではないか。
パドックに必ずしも金が落ちている訳ではないが、見つけられるか否かは、現場に居ようがモニターであろうが、ひとえに本人のセンスによる。
確かに、この太目感?この入れ込み模様?この歩様のぎこちなさ?この馬体減?この騎手?等々、パドックで気になる要素は沢山ある。
しかし、それらが必ずしもレース結果を左右するもので無いことも事実だ。
嗚呼、パドックを見たばかりにと、博打屋が一人合点して失敗する場合も多々あるし、逆に、馬を見てない人が気の毒だなと思うシーンもある。
得する事もあれば損する事もある。
そのプラスマイナスは各々で落とし前を付けるしかない。
ついでに他の投稿に関して言わせてもらうと、博打屋のこのブログの予想に関して、馬名の誤字が多いとの指摘だが、その事は確かである。
変換ミスもあるがご容赦願うしかない。
ただし、博打屋は馬鹿馬鹿しい指摘と思っている。
博打屋も編集者経験があるし、競馬雑誌も扱った。
その時には、スタッフの誤字や誤名には神経を使い、厳しくチェックしたものだ。
それは有料の市販出版物だからでもあった。
校正は大切な仕事である。
しかし、たかが博打屋個人のブログでの誤字、誤名など意に介していない。
間違いがないに越したことはないが、それこそたかが馬名の誤字である。
本来なら馬番でも良いのだが、一応馬名にしているに過ぎない。
誤字で馬が牛に変わるほど違いがあるでなく、必要なことはどの馬を注目しているかが分かれば良い。
重ねて言うが、これは商業雑誌や予想紙ではなく個人のブログだ。
あまり、子細な事で悪意に充ちた投稿を頂きたくない。
恐らく予想業関係の身近な人物と思われるが、誤字をとやかく言う前にどの馬を予想したかを汲み取っていただきたい。
加えて言うなら、投稿を読めなくなったと言う声を聞いたが、博打屋の方の操作では無いと思う。
ヤフーも時々分からぬことをする。
もっとも、早朝にはそれなりの冷え込みもある。
正月行事も様々あるが、今日は「初薬師」。
毎月8・12日に行われているが、正月の縁日を「初薬師」と呼んでいる。
薬師は衆生を病苦から救い、眼病を治すと言う如来で、薬師像は通常、薬坪を手にしている。
奈良時代以降、薬師信仰は栄え、奈良の法隆寺、薬師寺、法輪寺などが有名である。
元旦に詣でると三千日分に相当する功徳があるとされている。
この1年、薬と縁が切れない博打屋だから出掛けねばならないが、我が稲田堤にも薬師さまがある。
目の衰えも加速しているのでお参りも必要だが、何年前かの元旦に詣でたのだから、まだ三千日の残りがあるはずだ。
今年は神頼みはしないつもりだと言ったら、何も欲に駆られた頼み事をしなきゃ良いではないかと知人が言う。
頼み事と願い事は違うのだそうだ。
なるぼど、博打屋の私利私欲は頼み事で、天下国家しいては世界の平安は願い事となるようだ。
今日(8日)は開催の谷間で近場の博打場がなく開店休業と決め込んだ。
昨日の鳳凰賞典決勝の顛末は返すがえす良く出来た話だと思うが、事実は竒なりで不思議なものだ。
ビギナーズラックの元会社役員が、競輪って簡単ですねと思ってくれると、博打屋は一人競輪ファンを作ったことになる。
先日来投稿を頂いている。
「今の時代でも、パドックを見ることでお金に変わるのでしょうか」と言う質問だ。
せっかくパドック派になられたのに、グリーンチャンネルのモニター派になられたようだ。
皆が皆、博打屋のように現場派で競馬が出来る訳ではない。
もし、仕事などで余儀なくモニターパドックならそれで結構ではないか。
ただし、他人の解説が耳に入るのだろうから、その辺りをどう対処するかその人のセンスの問題だろう。
まあ、グリーンチャンネルを初め、昨今の解説者に見識のある人材は皆無に近い。
それだけ人脈だけで仕事を得ている仲良しサロンの世界なのだ。
博打屋のように現場に居るとメディアがどのような事をやっているのか見る機会が希である。
その希な機会に出くわしてびっくりするするのが「えっ、この程度の人材が?」と思う事が多い。
事情でパドックに来れなくなった人なら、モニターを通じてパドックで見ていた同じ物指しで見れば良いのではないか。
パドックに必ずしも金が落ちている訳ではないが、見つけられるか否かは、現場に居ようがモニターであろうが、ひとえに本人のセンスによる。
確かに、この太目感?この入れ込み模様?この歩様のぎこちなさ?この馬体減?この騎手?等々、パドックで気になる要素は沢山ある。
しかし、それらが必ずしもレース結果を左右するもので無いことも事実だ。
嗚呼、パドックを見たばかりにと、博打屋が一人合点して失敗する場合も多々あるし、逆に、馬を見てない人が気の毒だなと思うシーンもある。
得する事もあれば損する事もある。
そのプラスマイナスは各々で落とし前を付けるしかない。
ついでに他の投稿に関して言わせてもらうと、博打屋のこのブログの予想に関して、馬名の誤字が多いとの指摘だが、その事は確かである。
変換ミスもあるがご容赦願うしかない。
ただし、博打屋は馬鹿馬鹿しい指摘と思っている。
博打屋も編集者経験があるし、競馬雑誌も扱った。
その時には、スタッフの誤字や誤名には神経を使い、厳しくチェックしたものだ。
それは有料の市販出版物だからでもあった。
校正は大切な仕事である。
しかし、たかが博打屋個人のブログでの誤字、誤名など意に介していない。
間違いがないに越したことはないが、それこそたかが馬名の誤字である。
本来なら馬番でも良いのだが、一応馬名にしているに過ぎない。
誤字で馬が牛に変わるほど違いがあるでなく、必要なことはどの馬を注目しているかが分かれば良い。
重ねて言うが、これは商業雑誌や予想紙ではなく個人のブログだ。
あまり、子細な事で悪意に充ちた投稿を頂きたくない。
恐らく予想業関係の身近な人物と思われるが、誤字をとやかく言う前にどの馬を予想したかを汲み取っていただきたい。
加えて言うなら、投稿を読めなくなったと言う声を聞いたが、博打屋の方の操作では無いと思う。
ヤフーも時々分からぬことをする。