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Channel: 梶山徹夫の『愁思符庵日記』
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『謹賀新年』

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穏やかな元旦ではないか。
2016年、申年は静かに明けた。
もっとも、列島は広い。
雪に見舞われた地もあろう。
おしなべて、平穏な年明けと言うべきか。

明けましておめでとうございます。

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『去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの』(高浜虚子)

毎年ながら、元旦を迎えるとこの句が口をついて出る。
昭和25年12月20日、虚子76歳の句と言う。
この句に関しては「貫く棒」が何であるかの議論が絶えない。
つまり、観念的な理屈の臭いを嗅ぎとる人にとっては「虚子俳句の 痴呆性」と手厳しい。
元旦にそうした難しい議論は博打屋の頭にないが、この句が鎌倉駅の構内にしばらく掲げてあり、それを見た川端康成が自身の随筆の中で「背骨を電流が流れたような衝撃を受けた」と言って一躍世に知られるようになったと言うことの方が興味深い。
何しろ博打屋が1歳の頃の話だが、我が親たちはそんな事を知っていたのだろうか。
鎌倉駅の何処に掲げてあったのか、今度鎌倉に行ったら聞いてみよう。
句の観賞は様々な俳人が評しているが、「去年も今年も丸抱えにして貫流する天地自然の理への思いをうたう」と評し、「貫く棒の如きもの」の強さを「時間の本質を棒と言うどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句」と言う俳人・稲畑汀子氏の言葉で味わうのも悪くない。
虚子の信念・意志に思いを馳せるほど研究者ではないので、博打屋はただ我が胸を打つ、理屈なき共感を年の始めに思うのみである。
博打屋も今朝目覚めて己の中に「貫く棒の」「如きもの」をまた探す一年になることを感じたまでだ。

予定した博打屋の旅立ちは出遅れてしまった。
大きなリュックに、金杯までの流浪が可能な支度をして出向いたが、訳あって新橋ラピスタで思わぬ仕事始めとなった。
ラピスタでは宇都宮・静岡・岸和田・小倉4場の発売中。
博打屋の仕事始めは岸和田A級準決勝5-1-2、1360円からのスタートとなった。
これは1番人気であるが、記念すべき初商いである。

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小倉はナイターなので始まりが遅い。
本来は宇都宮競輪場に行く予定だったが、肝心の宇都宮競輪は当たらない。
途中、静岡競輪9Rで持ち出しを食い止めたが、この7-5-2、1690円は3番人気で、博打屋の目論んだ順番の狂いが無かった。

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後半の宇都宮、静岡は結構なお年玉車券となったが、手堅く取りに行った博打屋は貯金を吐き出しマイナス突入。
今日はここまでと、何時もとはまるで違う新橋駅前を後にした。
思えば宇都宮・静岡競輪場外なら京王閣でも売っていた。
博奕始めの岸和田6Rで切り上げれば旅立ちもまだ可能だったが、元旦と言え普段と変わらぬラピスタの人種たちを眺めていたら、各々事情あってのこの過ごし方かなと、我が身に置き換えて複雑でもあった。

寝正月と思えばこれもありかの元旦だったが、暮れも正月も無いのが博打屋の暮らし

平穏に迎えた新年を自分にふさわしく過ごす事になった。
只見線の雪景色はもう少し後に延ばそう。


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