雨音が一気に寒さを連れてきた朝(25日)。
「朝時雨」かなと空を見上げると、厚い雨雲は今日一日の寒さを予感させた。
その通り、震え上がるような寒さに見舞われた一日だった。
東京の日中は8度しかなく、その間札幌では62年振りの降雪を記録していた。
この時期の雨に出会うと「時雨(しぐ)るる」と呟いてみたくなるが、本来「時雨」とは冬の初めに降る通り雨の事を言うようだ。
さらにその雨の音にはパラパラとした音感が伴うと言う。
つまり、晩秋から初冬への移行を知らせる雨「時雨」は、枯れ葉や落ち葉を打つ音が伴うのだ。
その情緒から言うと、一日中止みそうにない今日の雨を「時雨るる」と呟くには過ぎたるものがあるのだろう。
「時雨るる」と言えば芭蕉であり、芭蕉が居ればこその山頭火
『うしろすがたのしぐれてゆくか』
であろうが、芭蕉の忌日は「時雨忌」とも呼ばれる。
元禄7年(1694年)10月12日、松尾芭蕉は旅先の大阪で亡くなっているので、この旧暦の10月12日を新暦の同じ月日に「芭蕉忌」としている。
この日を新暦に当てはめると先日の11月23日、「小雪」「勤労感謝の日」にあたった。
既に過ぎた「時雨忌」だが、芭蕉とその門弟たちは、古くから寒々として詠われたこの雨を華やかなものとして捉え直している。
実際、蕉門の俳諧選集 『猿簑(さるみの)』は冬の部を最初に置き、時雨の13句から始まっている。
巻頭には芭蕉の句
『初しぐれ猿も小簑をほしげ也』
こう考えると、やはり今日(25日)の雨は「時雨るるや」と詠んで良いのだろう。
しかし、余りにも寒く、蕉門たちのように寒々とした雨を華やかなものとして捉える余裕などない。
今日(25日)は先日来参加している「介護テクニックの初歩講座」の3回目「かんたん介護食」の講座が午後予定にあった。
この講座は今回で終わりだが、今日は「食介助・栄養」の観点から管理栄養士の話と実際の試食などの内容。
これらは、介護する側、される側に必要な知識で、加齢による体の様々な機能変化に即した食生活のあり方が主たるテーマであった。
一般に介護が必要になる原因には、認知症(アルツハイマー病・脳溢血等)、生活習慣病(糖尿病・高血圧)、転倒による骨折等(骨粗鬆症からの寝たきり)、低栄養による機能低下等があるが、博打屋にとっても他人事ではない。
日本人の栄養摂取基準2015が厚生労働省のホームページに詳細にあるそうで、年齢区分によるBMI(体格指数)も参考にするようにとの話だったが、この辺りはピンと来ない話だった。
初回の講座でも出たが、誤嚥性肺炎の予防の為にも、見た目とは違う食べ難い食べ物のあることに注意を払う必要がある。
口の中で付着し易いお餅や、団子状になるパン等もそうした物に入る。
食べ易くなる調理方法の工夫と言う資料を頂いたが、ご飯、パン、麺類、野菜、大豆製品、卵、肉、魚の各々の特性を理解し、出来るだけ家族と同じものが食べられるようにするのが好ましいと言う。
今現在、高齢者と同じ食卓を囲む機会の無い人にはピンと来ないし、自分にはまだ当てはまらない調理方法の工夫と思えるのだが、例えば野菜の切り方にしても、玉ねぎ・長ねぎ・いんげんは繊維に直角に切り、白菜・キャベツ・葉ものは葉脈に直角に切るなど、行く行くは博打屋の自炊にも必要な工夫ともなろう。
隠し包丁・飾り包丁を活用し、漬物や根菜の煮物などを食べ易くするなど、色々あるのだなぁと思わされる。
挙げるときりがないが、なるほど全て食べ易くするための配慮だと感心するばかり。
今日は「スマイルケア食」と言う初めての言葉を知った。
これは農水省が推進している食生活のようで、スマイルケア食で検索すると出てくるそうだ。
年齢を問わず、おいしく食べられるスマイルケア食を上手に使って毎日の食生活を楽しく過ごす為の推進だそうだ。
食欲が減退したり、体重が減ってきたり、噛むこと、飲み込むことが難しい人向けに、美味しくて柔らかい食事を簡単に、と言う狙いらしい。
既に1000種類以上の商品が市販されているそうで、今日は豆腐の種類を試食した。
大変美味であった。
さらに、土鍋を使って米粉の簡単シチューの調理と試食を行った。
とても寒い午後だったが、参加12名は各々納得の時間を過ごしたようだ。
さしずめ博打屋に心配されるのは低栄養かも知れない。
低栄養とは、必要な栄養素(特にエネルギーとたんぱく質)が不足することで、気力が無くなったり、免疫力・体力の低下、骨折などの危険増がある。
しかし、今のところその心配もなさそうで、よくよく考えると、低所得が一番悪そうだ。
今日(25日)は立川競輪準決勝も見送りの開店休業。
余りの寒さに『愁思符庵』初暖房のストーブ点火式。
序でに卓上ガスコンロの修理を試みたら何とか復活した。
安心して鍋を作ったが、他愛ない1日の終了だ。
「健康オタク」と揶揄されたが、何か勘違いしておられるようだ。
博打屋は自分の為の、自分の商いを行い生きているに過ぎない。
世の中には、真にそう生きたものしか分からない事も多いし、博打屋はそう生きる者の言葉しか信用しない。
他人様のエンターテイメントの為に生きているわけでもない。
日々身銭を切って博奕場に出向く人間にとって、動けなくなることは即ち死を意味するに近い。
その恐れを知らぬ者は幸せだなと羨ましい。
残念ながら、他人様の興味の為にポックリと死ぬわけにもいかない。
いや、ポックリと死ねるならそれはそれで良いが、ギャンブラーが皆が皆、酒池肉林の暮らしをしたり、ある日競馬場のスタンドで当たり馬券を握りしめて息絶えていた等のエンターテイメントに生きているわけではない。
それを望むなら、新橋遊吉や阿佐田哲也の本でも読まれるが良い。
卓上ガスコンロを修理して湯豆腐を食べるのも、一人の現実の博打屋の暮らしなのだ。
例えそれが魅力的でもなければ、夢さえ感じさせなかろうともだ。
「朝時雨」かなと空を見上げると、厚い雨雲は今日一日の寒さを予感させた。
その通り、震え上がるような寒さに見舞われた一日だった。
東京の日中は8度しかなく、その間札幌では62年振りの降雪を記録していた。
この時期の雨に出会うと「時雨(しぐ)るる」と呟いてみたくなるが、本来「時雨」とは冬の初めに降る通り雨の事を言うようだ。
さらにその雨の音にはパラパラとした音感が伴うと言う。
つまり、晩秋から初冬への移行を知らせる雨「時雨」は、枯れ葉や落ち葉を打つ音が伴うのだ。
その情緒から言うと、一日中止みそうにない今日の雨を「時雨るる」と呟くには過ぎたるものがあるのだろう。
「時雨るる」と言えば芭蕉であり、芭蕉が居ればこその山頭火
『うしろすがたのしぐれてゆくか』
であろうが、芭蕉の忌日は「時雨忌」とも呼ばれる。
元禄7年(1694年)10月12日、松尾芭蕉は旅先の大阪で亡くなっているので、この旧暦の10月12日を新暦の同じ月日に「芭蕉忌」としている。
この日を新暦に当てはめると先日の11月23日、「小雪」「勤労感謝の日」にあたった。
既に過ぎた「時雨忌」だが、芭蕉とその門弟たちは、古くから寒々として詠われたこの雨を華やかなものとして捉え直している。
実際、蕉門の俳諧選集 『猿簑(さるみの)』は冬の部を最初に置き、時雨の13句から始まっている。
巻頭には芭蕉の句
『初しぐれ猿も小簑をほしげ也』
こう考えると、やはり今日(25日)の雨は「時雨るるや」と詠んで良いのだろう。
しかし、余りにも寒く、蕉門たちのように寒々とした雨を華やかなものとして捉える余裕などない。
今日(25日)は先日来参加している「介護テクニックの初歩講座」の3回目「かんたん介護食」の講座が午後予定にあった。
この講座は今回で終わりだが、今日は「食介助・栄養」の観点から管理栄養士の話と実際の試食などの内容。
これらは、介護する側、される側に必要な知識で、加齢による体の様々な機能変化に即した食生活のあり方が主たるテーマであった。
一般に介護が必要になる原因には、認知症(アルツハイマー病・脳溢血等)、生活習慣病(糖尿病・高血圧)、転倒による骨折等(骨粗鬆症からの寝たきり)、低栄養による機能低下等があるが、博打屋にとっても他人事ではない。
日本人の栄養摂取基準2015が厚生労働省のホームページに詳細にあるそうで、年齢区分によるBMI(体格指数)も参考にするようにとの話だったが、この辺りはピンと来ない話だった。
初回の講座でも出たが、誤嚥性肺炎の予防の為にも、見た目とは違う食べ難い食べ物のあることに注意を払う必要がある。
口の中で付着し易いお餅や、団子状になるパン等もそうした物に入る。
食べ易くなる調理方法の工夫と言う資料を頂いたが、ご飯、パン、麺類、野菜、大豆製品、卵、肉、魚の各々の特性を理解し、出来るだけ家族と同じものが食べられるようにするのが好ましいと言う。
今現在、高齢者と同じ食卓を囲む機会の無い人にはピンと来ないし、自分にはまだ当てはまらない調理方法の工夫と思えるのだが、例えば野菜の切り方にしても、玉ねぎ・長ねぎ・いんげんは繊維に直角に切り、白菜・キャベツ・葉ものは葉脈に直角に切るなど、行く行くは博打屋の自炊にも必要な工夫ともなろう。
隠し包丁・飾り包丁を活用し、漬物や根菜の煮物などを食べ易くするなど、色々あるのだなぁと思わされる。
挙げるときりがないが、なるほど全て食べ易くするための配慮だと感心するばかり。
今日は「スマイルケア食」と言う初めての言葉を知った。
これは農水省が推進している食生活のようで、スマイルケア食で検索すると出てくるそうだ。
年齢を問わず、おいしく食べられるスマイルケア食を上手に使って毎日の食生活を楽しく過ごす為の推進だそうだ。
食欲が減退したり、体重が減ってきたり、噛むこと、飲み込むことが難しい人向けに、美味しくて柔らかい食事を簡単に、と言う狙いらしい。
既に1000種類以上の商品が市販されているそうで、今日は豆腐の種類を試食した。
大変美味であった。
さらに、土鍋を使って米粉の簡単シチューの調理と試食を行った。
とても寒い午後だったが、参加12名は各々納得の時間を過ごしたようだ。
さしずめ博打屋に心配されるのは低栄養かも知れない。
低栄養とは、必要な栄養素(特にエネルギーとたんぱく質)が不足することで、気力が無くなったり、免疫力・体力の低下、骨折などの危険増がある。
しかし、今のところその心配もなさそうで、よくよく考えると、低所得が一番悪そうだ。
今日(25日)は立川競輪準決勝も見送りの開店休業。
余りの寒さに『愁思符庵』初暖房のストーブ点火式。
序でに卓上ガスコンロの修理を試みたら何とか復活した。
安心して鍋を作ったが、他愛ない1日の終了だ。
「健康オタク」と揶揄されたが、何か勘違いしておられるようだ。
博打屋は自分の為の、自分の商いを行い生きているに過ぎない。
世の中には、真にそう生きたものしか分からない事も多いし、博打屋はそう生きる者の言葉しか信用しない。
他人様のエンターテイメントの為に生きているわけでもない。
日々身銭を切って博奕場に出向く人間にとって、動けなくなることは即ち死を意味するに近い。
その恐れを知らぬ者は幸せだなと羨ましい。
残念ながら、他人様の興味の為にポックリと死ぬわけにもいかない。
いや、ポックリと死ねるならそれはそれで良いが、ギャンブラーが皆が皆、酒池肉林の暮らしをしたり、ある日競馬場のスタンドで当たり馬券を握りしめて息絶えていた等のエンターテイメントに生きているわけではない。
それを望むなら、新橋遊吉や阿佐田哲也の本でも読まれるが良い。
卓上ガスコンロを修理して湯豆腐を食べるのも、一人の現実の博打屋の暮らしなのだ。
例えそれが魅力的でもなければ、夢さえ感じさせなかろうともだ。