庭の椿は散り盛りで、春の終わりの風情だが、今日も日差しこそあれ春の気温ではない。
一体どうなったのだろうと言う寒さだ。
その春の迷走に呼応するように、携帯の調子が悪くなった。
しばらく起きなかった電源落ちが再発し始めた。
何処か接触不良があるようで、書いている最中に何処かのボタンを押した瞬間電源落ちし、書いていたものが消える。
ブログならまだしも、裁判関係の長文を書いている最中なら大変な事だ。
マメに保存を掛けながら書かねばならない。
蓋の開け閉めの時にもこの症状が出て一気に電池残量が減る。
まるでショートでもしているようだ。
まあ、これもお金が解決する悩みだが、日銭商売人には色々事情もある。
もしブログが途絶えたら、携帯がくたばったか、博打屋がくたばったか、何れかとご理解願いたい。
週始めから父親の「傘寿(さんじゅ)」祝いに親孝行帰省中の仕事人・外弟子は、恵那・かんぽの宿で飛騨牛付きの晩餐を満喫し、カラオケまで楽しむ一時を過ごしたそうだ。
昨日(8日)からは実家に戻っての「傘寿」の続き。
祝い酒は豊富で、本人が送っておいた久保田の碧寿や、ノーベル賞Dr.からの寒梅や正月の残り酒、獺祭など贅沢な銘柄。
主治医から届いた鮪の大トロ・中トロの塊が華を添えたようだ(写真)。
今日(9日)は自宅敷地内産の野趣溢れる山菜料理で、3日3晩の満漢全席(写真)。
野菜作り趣味の母親が、猿と知恵比べしながら過す場所柄だから、推して知るべしの自然だ。
こう言う土地に退職後の住まいを求めた両親の人間性が垣間見られる。
恐らく「白寿(はくじゅ)」にも同じ宴席をしている事だろう。
「傘寿(80歳)」に因んで「白寿(99歳)」までは前日書いたが、現代では100歳超えなど珍しくない。
100歳以上の賀寿の祝いは108歳の「茶寿(ちゃじゅ)」、111歳の「皇寿(こうじゅ)」がある。
「茶寿」は「茶」の字を分解すると「十」が二つと「八十八」になることから108歳。
「皇寿」は「皇」の字が「白(99歳)」と「一」と「十」と「一」から出来ていることから111歳。
それ以上は金さん銀さんの世界だから、ギネスと国が祝ってくれるだろう。
長寿祝いにつきものの酒について、新谷尚記監修の『日本の「行事」と「食」のしきたり』によると、酒は慶弔を問わず、儀礼・行事には欠かせないものであり、神話にその起源をたどれば、『日本書紀』に木花咲爺姫(このはなのさくやひめ)が、狭名田の稲を使って何とかと言う酒をかもしたと言う記述があると言う。
米から酒を作る手法は実際には弥生時代からあったようで、蒸した米を口でよく噛み、唾液の糖化酵素の働きで発酵させるというのがそのやり方だ。
その名も「口噛み」と言う酒造法だが、噛んでは器にペッと吐き出すわけだから、極めて原始的。
もっとも、口噛みで酒をつくるのは純粋無垢の巫女に限られていたそうだ。
確かに、この原始的な酒作りは、猿でも同じような事をする。
今の酒作りは全く違うだろうが、酒のルーツは確かにそうなのだろう。
酒好きのウンチクは大変なものだが、元は噛んではペッの世界だ。
まあ、純粋無垢な巫女さんだから許せもするが、それ以外を思うと勘弁願いたい。
そんな事を思いながら、博打屋は今日(9日)から始まった西武園開設記念に出向いた。
週末競馬・桜花賞を控え、資金補充をしなければならない。
今回は、「平原の平原による平原の為の開催」の感が強いが、博打屋が参戦出来るのは今日明日。
特選10Rから手を出し、稲垣・村上博幸・岩本和也5-2-8,1410円の堅いライン決着からスタート(写真)。
11Rは佐藤友和・斎藤登志信の3着を間違え4010円の車券を外した。
12R初日特選は正に平原の為のレース。
平原・武田と並べば鉄板程の堅さで売れている。
平原・武田の裏表は五分に売れ2倍前後。
さすがの博打屋も人気ながらどちらかに絞らないとペイしない。
3連単1番人気が平原・武田・松谷7-1-3で800円。
何とか一捻りしたかったが、平原から1・2番人気を主に買った。
レースは絵に描いたような平原・武田・松谷の決着(写真)。
腹の括り時と言えばその通りの結果だが、中々そうもいかないものだ。
散りゆく西武園の桜を眺めながら、少しお銭になった今日(9日)に感謝だ。