昨日からの雨がしとしとと降る朝(26日)。
気温はグッと下がり、一月先の寒さ予報。
前日(25日)の書きかけのブログも止まったままで、何となく機を逸してしまった。
何時もながらの月末病で、現金補充が効かなかった先日の3日間競馬が悔やまれる。
朝、コーヒーを飲みながらトリアージと言う言葉を思い出し、一人苦笑した。
災害現場では救助に際し、人的にも物的にも通常時の対応が出来ない非常事態に陥った場合、最善の結果を得るために対象者の優先度を決定し選別する。
トリアージとはその選別の事で、被災者はトリアージ・タッグで標示される。
現実にそのシーンを見たことはないが、映画やドラマでは見かける。
こんな比較は不謹慎だが、山積の請求書の中で、何を優先して支払うか、博打屋としては現実的な選別だ。
そもそも選別などすべき事ではなく、全て支払うのが社会人の勤め。
しかし、博打屋の場合、全てが現金決済の暮らしだから、手持ちの状態によっては優先度を決めざるを得ない時もある。
時もある、ではなく、毎月末はその事態になる。
何故か?と思うが、大抵の請求は月末に集中するからだ。
そんなトリアージをしていると、秋雨の冷たさが殊更身に凍む。
明後日(28日)が期限の携帯料金は最優先事項か。
ライフラインの支払いも控える。
手持ち資金を減らすのは、竹槍で敵に挑むようなものとなるので極力先送りしたい。
しかし、博打屋も通常の生活者、払うものは払わねばならない。
それが集中する月末はひたすら悩ましいのだ。
「一知半解」とは文字通り一つのことを半分しか解さないこと。
生半可な理解の事を言う。
『ヘタな人生論より「寅さん」のひと言』(吉村英夫)と言う本を読みながら、午後川崎の裁判所に向かうべき車中でこんな四字熟語に出会った。
この本のタイトルには「人間にとって本当に大切なものって、なんだろう?」とサブタイトルが付いている。
その寅さんのセリフの中で寅さんが「一知半解」を披露する。
第16作『葛飾立志篇』。
最上川の流れる街で大滝秀治扮する僧侶と出会う。
学の無い自分を卑下する寅さんに対し僧侶は言う。
「いやそれは違う。己れの愚かしさに気がついた人間は愚かとは言いません。あなたはもう利口な人だ。・・・己れを知る―これが何よりも大事なことです。己れを知ってこそ、他人も知り、世界も知ることができるってわけです。あなたも学問をなさるとよい。四十の手習いと言ってな、学問をはじめるのに早い遅いはない。――子曰く(しいわく)、朝(あした)に道を聞けば、夕べに死すとも可(か)なり。・・・物事の道理をきわめ知ることができれば、いつ死んでもかまわない。学問の道はそれほど遠く険しいというわけだ、うーん」
寅さんはこの僧侶の言葉に触発されて向学心に燃える。
しかし、柴又に帰ったとたんに「一知半解」を披露する。
「よう、越後屋、相変わらず馬鹿か。己れを知れよ!」
寅さんの顔が目に浮かぶようなセリフだ。
学問を志して気が高まる寅さんは虎屋に帰還しのたまわく。
「駄目な男だなあ、いいか社長、シノタマハハ、明日、道を聞こうと思ったら、夕べに死んじゃったというくらいのもんだ。・・・なんだ、分からないのか。つまりだ、明日行くんだから明日道をきけばいいやと思ったら、夕べ死んじゃったという話よ」
叔母のつねが訊ねる。
「どうして死んじゃったの?」
「交通事故だよ」と寅さん。
なつかしいシーンを思い出すが、「一知半解」とは、この寅の理解。
なるほど、下手な人生論より「寅さん」のひと言ではないか。
裁判所で訴訟内容変更の手続きの仕方を聞いている最中、博打屋も「一知半解」を戒めた。
裁判所を出たのが15時半。
冷たい雨が、街路樹の銀杏を容赦なく落とす(写真)。
目の前の川崎競輪場は奈良競輪場外と、本場ナイター開催。
奈良競輪準決勝最終11Rが間に合う時間。
何とか日銭をと道を渡って入場。
しかし、11Rは地元栗山・藤木・澤田ラインが一本被り。
地元栗山が張り切るだけに藤木裕の勝機の読み。
藤木・栗山7-1で200円台、藤木・澤田7-9で500円台。
3連単も1番人気は300円台と言う悩ましい博奕。
何とかオアシをと博打屋は別線房州に期待。
藤木を1着に澤田・房州・栗山を絡めて買うと、栗山が独走、切れた藤木が澤田・房州を連れて捲る結果となった。
7-9-4、1640円(写真)。
安いが、実は安くない車券。
しかし、その辺りは現場にいないと分かるまい。
本場ナイターには見向きもせず退散。
たいしたオアシではないが、冷たい雨が苦にならなかった帰途だった。
これで明後日(28日)も携帯は繋がるかと、他の支払いと再びトリアージが始まる。