夏が好きな博打屋としては歓迎の暑さ到来だ。
早朝、鳥の囀ずりも多彩になる。
ウグイスやホトトギスはまれであるが、カラスやスズメは煩いくらいに囀ずっている。
さすがにカッコウの声は聴かれない。
カッコウの鳴き声で最も記憶に残るのは尾瀬を歩いた時に聴いたもの。
早朝の尾瀬ヶ原の木道を歩いている時、朝靄の静寂を破りカッコウが甲高く鳴き、広い尾瀬ヶ原に響き渡った。
何と荘厳な鳴き声よ、と感動すらした。
これぞ夏の高原の朝かと如何にも納得した。
『うき我をさびしがらせよかんこ鳥』(芭蕉)
客の入りの悪い店や劇場などを「閑古鳥が鳴くような」と言うが、芭蕉が詠んだようにカンコ鳥の鳴き声はたまらなくもの寂しいものと受け止められていた。
このカンコ鳥が今のカッコウである。
カッコウの鳴き声をカンコウと聞き取りカンコ鳥となったのだろう。
しかし、唱歌『静かな湖畔』に「もう起きちゃいかがとカッコが鳴く」と歌われたり、他の唱歌でも「夏を呼ぶ森の声ほらほら響くよ」等とある。
ここでのカッコウの鳴き声は芭蕉の言うさびしさがない。
この事について言語学者の金田一春彦氏は、現代人がカンコ鳥とカッコウを別の鳥と思っているからではないかと言う。
寂しい様子を指して「閑古鳥が鳴くようだ」と平気で言っているのはそのせいだと推測している。
カンコ鳥とカッコウが同一鳥と知っていたら、先の唱歌やカッコウ・ワルツなどの歌詞は生まれなかったか、或いは「閑古鳥が鳴くような」の例えは違う意味になっていたのだろう。
開店休業の週明け二日目、少々無理使いだが「閑古鳥の鳴くような」博打屋の財布を覗き、夏の尾瀬を思い出した。
今日(3日)から「横浜みなとまつり」と言う。
一応神奈川県民として関心もある。
インド艦隊司令長官ペリーが浦賀沖にやって来たのが1853年のこの日。
それを記念して7月20日の国際花火大会まで様々な催しが行われる。
国際都市横浜らしい催しはニュースで見るのみだが、この時期に横浜を訪れるのも楽しかろう。
今日(3日)は取手競輪と千葉競輪の準決勝を京王閣で発売中。
どちらも外人選手参戦で人気が片寄るだけに車券は難しい。
明日の為にレースを見に出掛けたが、どちらも9Rの外人が落車の憂き目に会い脱落した。
取手はパーキンス、千葉はボティシャーが安定しており決勝に進んだ。
取手のピノクロフはよもやの敗退。
このレース、渡邉晴智を買ってみたが、相変わらずつまらぬ動きで落車。
レースを壊すだけの選手になってしまった。
強さが目立ったのパーキンスで、明日(4日)の取手決勝は山田英明との争いとなった。
千葉は根田空史の番手、師匠の中村浩士が消えて波乱となった。
根田はやはり自分だけが届く捲りしかしないので、車券的には難しい選手。
明日(4日)の決勝はボティシャーとの争い。
力は此方の方がありそうだ。
準決勝2レースを買い空商い。
ガッカリして外に出ると顔見知りのオヤジが大井があるぞ!とオフト京王閣を指差す。
そうか、ナイターかと消化不良の我が身を奮い立たせた。
競輪終了後だからまだ大井も早いレース。
ナイター嫌いの博打屋だから競輪の残業のつもりの1・2レース参戦。
メンバーを見ると5Rに知人馬主のヘイゾウが出走し人気を集めていた。
電話をして感触を聞くと自信度Bと控え目。
そりゃそうだろう、競馬の事だから勝てるとは言えまい。
その辺りを考慮したが、パドックモニターを見る限り大丈夫。
博打屋に迷惑かけたくないとの馬主の控え目に敬意を示し相手を絞った。
幸いにヘイゾウは危なげなく勝ち、2着が少し人気薄で6-4-7,9750円(写真)。
嬉しかったね、博打屋は。
先日、1000円の入会金を払って会員になったが、元が取れたと言うものだ。
捨てる神あれは拾う神ありとはこの事か。
競輪の負けを馬で取り返しお釣りさえ出た。
今日はこれまでと足元の明るいうちに退散。
明日(4日)の競輪決勝と大井競馬東京ダービーに期待を込めた。