取り立てて何をしたと言うことのない、味気無い今年のゴールデンウィークだった。
毎日が黄金週間と思われている博打屋だから、今さら何も無い春です、なんて言うと顰蹙(ひんしゅく)ものか。
堅気衆が休み呆けで出勤するように、博打屋も今日(7日)から梨農夫再開。
朝9時から袋掛けを始め、昼は「畑のよこっちょ」の300円弁当を二ヵ領用水で食べ、食後のトイレや水補給に多摩区役所に立ち寄る日課となる(写真)。
「畑にでてます」と宮沢賢治のように看板を出したい心境だ。
周回遅れのブログも儘ならない。
ただだだ、低い梨棚の下で大股開いて足を踏ん張って袋掛けをする。
無心と言えば無心。
腰に取り付けた袋入れから袋が減っていくのだけが励み、何も考えない。
一心不乱と言って憚らない。
泥のように働くとはこの事か。
『陽が照って鳥が啼きあちこちの楢の林もけむるとき、ぎちぎちと鳴る汚い掌を、おれはこれからもつことになる』
宮沢賢治は今の賢治詩碑のある場所で一人で暮らしていた。
北上川を見下ろす崖の上にあった賢治の家の黒板に「下の畑に居ます」と書いて訪れる人に知らせたと言う。
博打屋も、しばらくブログには「梨山に居ます」と書いておきたい。
「ささくれだった指先を、おれはこれからもつことになる」
賢治風に言うならそうなる。
梨の袋の止め金で指先が傷付く。
1年ぶりの袋掛け、初日の今日(7日)は800枚で止めた。
17時で切り上げたのは歯医者の予約があったからだ。
一番奥の歯が割れていると言われて1年半が経つ。
痛いわけではないが、痛くなってからでは遅いような気がするので重い腰を上げた。
以前の地元3代目歯医者は止めて違う歯医者に当たったが、予約がかなり先になり、しかも次回も何週間か空くと言う。
なるほど、行ってみると今流行りの小綺麗な医院。
パンフレットには医師の紹介やコンセプトなど、至れり尽くせりの事が書いてあり、博打屋もここなら、と安心感を抱いた。
何より、チラホラと見えた何人かの女性スタッフが、来院者に愛想が良い。
待たされてもここにするかと一度は考えたが、余りに間が開いたのでは面倒だ。
諦めてもう一軒の医院に行ってみた。
電話で問い合わせたとき、一も二もなく「ハイ、何時になさいますか?」と何時でも良い口振り。
こうなると、人間と言うものは引けてくるものだ。
一度は考えてしまったが、予約が自由になる事に免じて思いきって訪ねた。
古いビルの2階で以前から場所は知っていたが、訪れるのは始めて。
時代遅れの診療所といった感じ。
いきなり年配女性2人がどうぞどうぞと呼び入れる。
あたしゃ一瞬しまった、と思ったものだ。
しかし、事はどんどん進み、博打屋が患者となった事は避けられない事実。
どうぞ中へと通された診察室は、懐かしい匂いすらする設備や雰囲気。
およそ今流行りの医院と空気が違う。
何だ、女医さんかと思ったら、遣り手の助手のようで、何処からか年配の男性医師が登場。
「どうしましたか?」
「奥の歯が割れていると言われてまして」
「そうだね、割れてるね」
以前の歯医者は仰々しくレントゲン影像をモニターで見せたりしたが、ここにはそれらしきモノはない。
何で割れてると分かるのよ、と博打屋は自問しながらまな板の鯉状態。
歯は抜くしかないが、痛くないなら急がなくて良いと言う。
今日は歯を綺麗にしましょうと、ギンギン、ガリガリやり始め、博打屋は口を開けたまま。
手入れする歯が3本あるそうで、やり手助手おばさんが、歯はかなり良い状態ですよと説明してくれた。
医者も今後の治療を説明してくれ、当初の不安は少し薄らいだ。
こうなった以上、一蓮托生、博打屋の奥歯はこの「時代屋歯医者」に任せるしかなかろう。
何時抜くか、悩みが増えた。