昨日までの春の暖かさはどこに行ったのかと思う気温だ。
乾燥しきった日々が続いたのでほどよい雨だが、寒さのぶり返しは困る。
その雨も上がり、寒々とした雨雲に覆われる午後となった。
一昨日、藤の花に驚いたが、やはり今年は早いのだろうか、八重桜・藤・チューリップの競演が見受けられる(写真)。
腕の湿疹は収束に向かっているが、なるほどこれを「雁瘡癒ゆ」 と言うのだろうかと思った。
難しい季語だ。
先ず「雁瘡(がんがさ)」と言う晩秋の季語だが、これは痒疹性皮膚病(ようしんせいひふびょう)の俗称。
雁が渡ってくる頃、子供や老人に多く発症するじくじくした吹き出物の事を言う。
雁がいる間は痒さが治まらない。
雁がいなくなる頃治るので「雁瘡癒ゆ」と言う春の季語が生まれた。
博打屋の湿疹とは少し違うのだが、何が原因か分からぬまま痒くなり、いつしか治ると言うこの吹き出物は、幼い時分経験したような気もする。
昔の人がいかに自然の生き物を目安にしていたかが窺える季語だ。
季を違えずに飛来する雁は暮らしの中の自然歴となっていた。
思い起こせば、子供の頃は吹き出物、つまりオデキがよく出来たものだ。
その都度、濡れ新聞にドクダミを包み、蒸し焼きにしたものをあてがって膿を出した。
そのうち、「蛸の吸出し」と言う奇妙な軟膏が出てきた。
近年は医学や栄養などの進歩か、オデキはおろかニキビ面の人を見かける事が少ない。
「雁瘡(がんがさ)」と言う言葉を知らない人が多いのは無理もない。
症状こそ違え、博打屋の湿疹もある時期現れ、やがて消える。
「雁」も瘡蓋を運んで来たわけじゃないのに、名前を持ち出され気の毒だ。
博打屋の好きな「雁風呂」と言う季語のように、「越」から来て「越」に帰る雁は人々に愛されていた。
『雁一声雁瘡癒ゆる夕べかな』(愁思符庵)
「越」に帰るのは雁だが、『高く心を悟りて俗に帰る』と言ったのは芭蕉だ。
芭蕉は41歳で『野ざらし紀行』、44歳で『笈の小文』、46歳で『おくのほそ道』と言う、生涯3度の大旅行に出ている。
昔の旅だから命がけであることは「野ざらし」と言う悲壮な名からも分かる。
この旅を通し、風雅の精神を深め、「不易流行」の理念に開眼していく。
そして、これが後に芭蕉の俳諧の到達点となる「かるみ」の境地へと発展して行く、と大方の芭蕉研究書の教える処である。
「かるみ」の俳諧とはと、軽々しく理解出来るものではないが、芭蕉の言葉を借りるなら「高く心を悟りて俗に帰る」と言うことのようだ。
芭蕉は古人が到達した高い境地を、平明な表現の中で再生する俳諧作品を理想としていた。
その通りだと思う。
「不易流行」「かるみ」の勉強はまたの機会に譲るが、「高く心を悟りて俗に帰る」も容易な境地ではない。
俗に帰るどころか、元々俗に生きる博打屋などどうすりゃいいのよと思うが、何とか芭蕉の言う俗を覗いてみたい。