寒波が列島を覆い、冷え込みがこの冬一番と言う朝(13日)。
これからはこれが当たり前の日々だろう。
1年で一番落ち着かない日々が続く。
堅気衆には良くも悪くも1年と言う区切りの終わりだから、この先御用納めまでは楽しい筈である。
とにかく、色々あったこの1年だが、まあお互いに何とかやってきたね、と互いをいたわり合う気持ちが強いのではないか。
12ヶ月の一つにしか過ぎないのだが、師走は特別な味わいがある。
町で見かける忘年会お開きの光景。
互いの腹の内はどうであれ、酒の勢いか互いに意思疏通が図れたかのような和気あいあいの挨拶。
まあ、それで1年のストレスが解消されるのなら救われるが、たった一晩の宴席で、ズル上司やバカ部下が同志になれる道理がない。
ただ、一重に会社の金で酒を飲み、組織に忠誠を尽くす身の安泰を互いに確認し合うに過ぎないのだ。
そんな光景が今夜(13日)はピークなのではないか。
未明に目覚め、飯尾精『忠臣蔵の真相』を読んだ。
今日は13日の金曜日。
信心がないので、取り分けて忌み嫌う日ではないが、博打屋としては今日13日は「煤払い」の日として重きがある。
文字通り煤払いをする日で、寺院などでは笹竹で仏像や天井・軒下などの埃を払う。
江戸時代には煤竹売りが市中を歩いたようだ。
『忠臣蔵』名場面、大高源五と其角の両国橋での出会いが思い出される。
討ち入り前日の今日(13日)、大高源五はなおも吉良邸の様子を探ろうと、煤竹売りに身をやつし吉良邸内外を探り帰ろうと両国橋にさしかかる。
そこで偶然にも俳句仲間の室井其角とばったり出会う。
其角は、煤竹を担いだみすぼらしい身なりの源五を見て、かつての浅野家家臣の頃との違いに哀れみを抱き源五に問いかける。
『年の瀬や水の流れと人の身は』(其角)
すると、子葉の俳号をもつ源五は連句する。
『あしたまたるるその宝船』(子葉)
其角は討ち入りを翌日に秘めている源五の心境が分からない。
どこか仕官の道でも出来たのだろうと、いささか軽蔑の眼差しでその場を去った。
しかし、一夜明けて赤穂浪士の吉良邸討ち入りニュースが江戸市中を駆け巡る。
その中に大高源五の名を聞き、其角は前夜の句を思い出す。
『あしたまたるるその宝船』
其角は自分の不明を恥じ、泉岳寺に向かう一党を追いかけ源五に無礼を詫びた。
お~、あの橋の上での名場面。
煤竹売りの存在が、いかに煤払いが師走の行事であったか言うまでもない。
この名エピソードは為永春水『伊呂波文庫』から流布されて有名になったもの。
しかし著者はこう解明する。
もともと源五は、呉服屋新兵衛と名乗り、吉良の茶の湯の師匠山田宗偏に入門しており、14日の吉良邸茶会の存在を聞き出した功労者。
そんな人物が大事の前、しかも大雪の中、煤竹を担いで探索に出向く訳がない。
しかも上方の裕福な町人と名乗って弟子入りしている呉服屋脇屋新兵衛が、ほおかむりした煤竹売りに身を落とすのも不合理。
実はこの煤竹売りの話は、14日の朝、大高源五が青竹を持って宗偏宗匠を訪ね、この日の茶会を確認した事実から、青竹を煤竹にし、13日の煤払いに結びつけた創作と言う。
この話にはまだまだ色々な創作が加えられているのだが、何れも創作ながら成る程なと思わせるものが多い。
煤払いの今日(13日)だが、北風の吹く中先日やり残しの庭師仕事に出向いた。
今日は椎の大木の枝払いと、生け垣等の剪定、仕上げをやった。
椎の木に登って2枝伐ったところで電動ノコが故障してしまった。
仕方なくノコギリでの手作業となったが、高所での片手作業は不自由で非効率。
電動ノコの威力をつくづく感じながら忍耐忍耐。
後半になると生木の脂でノコギリが切れなくなる。
奮闘4時間、他の木々も再度切り込みをし完了した。
見上げると我ながら良く伐ったと思う見事な剪定。
落とされた膨大な枝処理は後日とし、ひとまず綺麗さっぱりとした。
冷えた体を風呂で癒し博打屋自身の煤払い。
しかし、人生の汚れはおいそれと落ちそうにない。
『年の瀬や水の流れと人の世は』(其角)
『あした待たるる中山競馬』(愁思符庵)
嗚呼~、ラグビーボウルの様な月が笑っている。
今夜は缶ビール買えそうだ。
これからはこれが当たり前の日々だろう。
1年で一番落ち着かない日々が続く。
堅気衆には良くも悪くも1年と言う区切りの終わりだから、この先御用納めまでは楽しい筈である。
とにかく、色々あったこの1年だが、まあお互いに何とかやってきたね、と互いをいたわり合う気持ちが強いのではないか。
12ヶ月の一つにしか過ぎないのだが、師走は特別な味わいがある。
町で見かける忘年会お開きの光景。
互いの腹の内はどうであれ、酒の勢いか互いに意思疏通が図れたかのような和気あいあいの挨拶。
まあ、それで1年のストレスが解消されるのなら救われるが、たった一晩の宴席で、ズル上司やバカ部下が同志になれる道理がない。
ただ、一重に会社の金で酒を飲み、組織に忠誠を尽くす身の安泰を互いに確認し合うに過ぎないのだ。
そんな光景が今夜(13日)はピークなのではないか。
未明に目覚め、飯尾精『忠臣蔵の真相』を読んだ。
今日は13日の金曜日。
信心がないので、取り分けて忌み嫌う日ではないが、博打屋としては今日13日は「煤払い」の日として重きがある。
文字通り煤払いをする日で、寺院などでは笹竹で仏像や天井・軒下などの埃を払う。
江戸時代には煤竹売りが市中を歩いたようだ。
『忠臣蔵』名場面、大高源五と其角の両国橋での出会いが思い出される。
討ち入り前日の今日(13日)、大高源五はなおも吉良邸の様子を探ろうと、煤竹売りに身をやつし吉良邸内外を探り帰ろうと両国橋にさしかかる。
そこで偶然にも俳句仲間の室井其角とばったり出会う。
其角は、煤竹を担いだみすぼらしい身なりの源五を見て、かつての浅野家家臣の頃との違いに哀れみを抱き源五に問いかける。
『年の瀬や水の流れと人の身は』(其角)
すると、子葉の俳号をもつ源五は連句する。
『あしたまたるるその宝船』(子葉)
其角は討ち入りを翌日に秘めている源五の心境が分からない。
どこか仕官の道でも出来たのだろうと、いささか軽蔑の眼差しでその場を去った。
しかし、一夜明けて赤穂浪士の吉良邸討ち入りニュースが江戸市中を駆け巡る。
その中に大高源五の名を聞き、其角は前夜の句を思い出す。
『あしたまたるるその宝船』
其角は自分の不明を恥じ、泉岳寺に向かう一党を追いかけ源五に無礼を詫びた。
お~、あの橋の上での名場面。
煤竹売りの存在が、いかに煤払いが師走の行事であったか言うまでもない。
この名エピソードは為永春水『伊呂波文庫』から流布されて有名になったもの。
しかし著者はこう解明する。
もともと源五は、呉服屋新兵衛と名乗り、吉良の茶の湯の師匠山田宗偏に入門しており、14日の吉良邸茶会の存在を聞き出した功労者。
そんな人物が大事の前、しかも大雪の中、煤竹を担いで探索に出向く訳がない。
しかも上方の裕福な町人と名乗って弟子入りしている呉服屋脇屋新兵衛が、ほおかむりした煤竹売りに身を落とすのも不合理。
実はこの煤竹売りの話は、14日の朝、大高源五が青竹を持って宗偏宗匠を訪ね、この日の茶会を確認した事実から、青竹を煤竹にし、13日の煤払いに結びつけた創作と言う。
この話にはまだまだ色々な創作が加えられているのだが、何れも創作ながら成る程なと思わせるものが多い。
煤払いの今日(13日)だが、北風の吹く中先日やり残しの庭師仕事に出向いた。
今日は椎の大木の枝払いと、生け垣等の剪定、仕上げをやった。
椎の木に登って2枝伐ったところで電動ノコが故障してしまった。
仕方なくノコギリでの手作業となったが、高所での片手作業は不自由で非効率。
電動ノコの威力をつくづく感じながら忍耐忍耐。
後半になると生木の脂でノコギリが切れなくなる。
奮闘4時間、他の木々も再度切り込みをし完了した。
見上げると我ながら良く伐ったと思う見事な剪定。
落とされた膨大な枝処理は後日とし、ひとまず綺麗さっぱりとした。
冷えた体を風呂で癒し博打屋自身の煤払い。
しかし、人生の汚れはおいそれと落ちそうにない。
『年の瀬や水の流れと人の世は』(其角)
『あした待たるる中山競馬』(愁思符庵)
嗚呼~、ラグビーボウルの様な月が笑っている。
今夜は缶ビール買えそうだ。