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Channel: 梶山徹夫の『愁思符庵日記』
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『霜月朔日・十三夜』

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月替わりの朝(1日)。
日の出が6時台になっており、冬の到来を思わせる。
今日は十三夜で、旧暦9月13日に当たる。
中秋の名月から一月遅れの月となる。
幸いにも、少し愛嬌のある名月が愛でられそうだ。
早朝、いつものように藤沢に向かった。
今日は午前午後を通しての座学となる。
藤沢のマクドナルドでコーヒーを飲みながら時間調整の予習。
今月中旬には、盲ろう児との交流会が予定されており、それまでに指点字で自己紹介などが出来るようにしておかなければならない。
そろそろ本気で指点字の配列を覚えなければならないが、これが中々厄介だ。
スマホに指点字のアプリがあると、受講生から聞いたが、博打屋のスマホでは引き出せない。
今日、改めて聞き直したら、i-Phonでしか見られないとのことだった。
と言われても、博打屋のスマホでなぜ見られないのか、よく分かってはいない。
今日の講義は、盲ろう児・者の置かれている現状についての話である。
実際の盲ろう児の成長過程を題材に、その母親が講義に協力してくれた。
長年、盲ろう児・者教育に携わってきた大学教員による講義である。
盲ろう者通訳・介助員を目指す受講生にとっては、身内の立場の人から生々しい話を聞くのは大変貴重なことだが、守秘義務も生じることなので、個人を特定出来るような事は書けない。
生後1歳半頃、見えない、聞こえない子供である現実と向き合い、現在25歳になった娘の成長過程を、盲ろう児教育の礎になればと、講座に協力して下さったようだ。
言葉と言う情報手段を持ち得ない我が子を、どう育てていくか、或いは教育していくか、とてつもなく過酷な日々から学んだ事を、具体的事例を元に教授してもらった。
かなり重い話の1日だったが、盲ろう児が一つ一つ物事を理解していく過程を教わったような気がする。
盲ろう児が持ち得る言語とは、手と足から覚える触感でしかない。
一人一人、その触感で覚えたものが、それぞれの言語となる。
例えば、トランポリンと言う遊びを表現する場合、ある盲ろう児はサイドにあるスプリングを触って上に上がることから、その子にとってはスプリングがトランポリンと言うサイン、言葉となる。
しかし、別の盲ろう児はマット状の物を触ると、それがトランポリンと言う言葉になってしまう。
親を始め、通訳・介助員との約束事であり、それが彼らが持ち得る言葉なのである。
正にヘレン・ケラーの話であるが、あの原題は「奇跡の人」ではなく、「奇跡に導いた人」だそうだ。
その話しは後日に譲るが、盲ろう児・者が暮らす上で、通訳・介助員の存在は欠かせないと母親から強く要望された。
夕方には少し早い時間に講義は終わったが、毎度質問する受講生がいるのには閉口する。
2人しかいない男性受講生の一人で、既に手話などを心得、福祉の分野に精通している人のようだが、講義内容を補足するかのような質問をするので、時間が無駄になる。
聞いてりゃ分かるだろうがとうんざりするが、質問されれば講師は改めて言い方を変えて答える。
今日も終了時間を大幅に過ぎてしまった。
こういうのは嫌だなと思う。
夕方、小田急線で帰ったが、すっかり暗くなった夜空に十三夜の微笑ましい姿が輝いていた。
明後日(3日)からの3連休を前に、大家さん今晩はをしなければならないのは辛いが、3日間競馬でこの出費がカバー出来るかどうか、霜月の命運がかかる。
それにしても、美しい夜空の十三夜だ。

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