明け方5時に起き、昨日手付かずとなったレポート作成に取り組んだ(22日)。
やはり土壇場にならないと性根の入らない駄目なタイプだ。
今日出来る事は今日の内にと言うが、明日出来ることは明日で良かろうとも言える。
そのギリギリの明日に賭けてしまった。
しかし、明日はどうなるか分からない世の中だから、やはり今日出来る事は今日やり終えておくのが一番だ。
そんな反省は先週もしたなと思いながら、何とか書き上げた。
午後の雨が予報されていたが、明け方ザッーと雨が降っていた。
その雨も出かける頃には上がり、要約筆記講座に出向いた。
今日は午前午後通しの講義で、書きことばの要約と話しことばの要約の違いと、文の構成などを実習を交えて学習した。
4週続いた手書き・パソコンコース合同講座だったが、来週から再び別々の実技講習に入る。
今日の講義の中で、シンデレラ物語を50字で要約せよと例題が出た。
14名中、黒一点の博打屋はシンデレラの話しをまともに読んだ記憶もないし、どういう人物が登場するのかもおぼろだ。
設問が悪いよなと思いながら手持ち無沙汰にしていると、講師が博打屋を発表指名した。
物語を知らないと答えると、そう言えば以前にも男性受講生に同じような人がいたと苦笑していた。
そんな前例があるなら、例題を変えろよなと思ったが、そこまでは気が回らないのだろう。
一度組み立てた講義内容だから、そのまま毎年使っているようだ。
シンデレラ物語が常識と言われると仕方ないが、それを言うならせめて季節柄「竹とり物語」くらいにしろよと思った。
4時前に講義は終わったが、秋雨に見舞われてしまった。
歩きながらつい最近知った「きぬた」と言う言葉を思いだした。
これも世間では常識なのだろうかと冷や汗ものである。
地名の砧は知っているが、「キヌタを打つ音」となるとお手上げだ。
しかし、これは博打屋の不勉強で、芭蕉もこのキヌタを句にしている。
『声澄みて北斗に響く砧かな』
キヌタを打つ音が秋の夜空に響くのは、古来人々の感傷に訴えるものが大きかったようで、和歌、俳句に多く詠まれている。
キヌタと言うのは、キヌイタ(衣板)から転じた言葉で、織って染め上げた布を台に乗せ横槌でコツコツと叩いて柔らかくすることだ。
博打屋がこの言葉を知らなかったのは、そうした生活風景を見たことがなかったからだろう。
見たことはあったとしても、それをキヌイタ(衣板)を打つと言うとは認識していなかった。
台は木製のものや、砧の字の如く石製のものもある。
この時使う槌をシコロと言うそうだ。
この仕事をすることを「キヌタを打つ」「シコロを打つ」と言う。
或いは「コロモを打つ」とも言ったようで、百人一首にある『み吉野の山の秋風さ夜ふけて故郷寒く衣もうつなり』に出でくる「衣打つなり」が「コロモ打つ」の意味である。
秋風が着物に吹いてパタパタする様子ではない。
う~ん、確かに何とも言えない響きだろうなと、秋雨の夜空を見上げる。
やはり土壇場にならないと性根の入らない駄目なタイプだ。
今日出来る事は今日の内にと言うが、明日出来ることは明日で良かろうとも言える。
そのギリギリの明日に賭けてしまった。
しかし、明日はどうなるか分からない世の中だから、やはり今日出来る事は今日やり終えておくのが一番だ。
そんな反省は先週もしたなと思いながら、何とか書き上げた。
午後の雨が予報されていたが、明け方ザッーと雨が降っていた。
その雨も出かける頃には上がり、要約筆記講座に出向いた。
今日は午前午後通しの講義で、書きことばの要約と話しことばの要約の違いと、文の構成などを実習を交えて学習した。
4週続いた手書き・パソコンコース合同講座だったが、来週から再び別々の実技講習に入る。
今日の講義の中で、シンデレラ物語を50字で要約せよと例題が出た。
14名中、黒一点の博打屋はシンデレラの話しをまともに読んだ記憶もないし、どういう人物が登場するのかもおぼろだ。
設問が悪いよなと思いながら手持ち無沙汰にしていると、講師が博打屋を発表指名した。
物語を知らないと答えると、そう言えば以前にも男性受講生に同じような人がいたと苦笑していた。
そんな前例があるなら、例題を変えろよなと思ったが、そこまでは気が回らないのだろう。
一度組み立てた講義内容だから、そのまま毎年使っているようだ。
シンデレラ物語が常識と言われると仕方ないが、それを言うならせめて季節柄「竹とり物語」くらいにしろよと思った。
4時前に講義は終わったが、秋雨に見舞われてしまった。
歩きながらつい最近知った「きぬた」と言う言葉を思いだした。
これも世間では常識なのだろうかと冷や汗ものである。
地名の砧は知っているが、「キヌタを打つ音」となるとお手上げだ。
しかし、これは博打屋の不勉強で、芭蕉もこのキヌタを句にしている。
『声澄みて北斗に響く砧かな』
キヌタを打つ音が秋の夜空に響くのは、古来人々の感傷に訴えるものが大きかったようで、和歌、俳句に多く詠まれている。
キヌタと言うのは、キヌイタ(衣板)から転じた言葉で、織って染め上げた布を台に乗せ横槌でコツコツと叩いて柔らかくすることだ。
博打屋がこの言葉を知らなかったのは、そうした生活風景を見たことがなかったからだろう。
見たことはあったとしても、それをキヌイタ(衣板)を打つと言うとは認識していなかった。
台は木製のものや、砧の字の如く石製のものもある。
この時使う槌をシコロと言うそうだ。
この仕事をすることを「キヌタを打つ」「シコロを打つ」と言う。
或いは「コロモを打つ」とも言ったようで、百人一首にある『み吉野の山の秋風さ夜ふけて故郷寒く衣もうつなり』に出でくる「衣打つなり」が「コロモ打つ」の意味である。
秋風が着物に吹いてパタパタする様子ではない。
う~ん、確かに何とも言えない響きだろうなと、秋雨の夜空を見上げる。