溶けるような暑さの前日から一夜明け、早朝の同行援護散策日の朝を迎えた(10日)。
昨日の暑さはどこに行ったかという空模様で、曇よりと蒸し暑さが伴う。
雨はしばらく大丈夫と判断して、7時に利用者宅に出向いた。
足の捻挫が完治しないのが気になるが、本人は大丈夫という。
今朝は多摩川土手の遊歩道を登戸まで南下し、多摩水道橋を和泉多摩川側に渡る歩きやすいコースにした。
川崎市から東京都に渡ることになり、橋の中程に県境の標識がある。
上下4車線は2本の橋で構成されており、それぞれに広い人・自転車用の歩道が欄干沿いに作られている。
和泉多摩川側に渡り切った所に休憩スペースが作られており、そこにこの橋の由来碑がある。
この橋は「多摩水道橋」と言うのが正式名で、道路名で言うと東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線(世田谷通り・津久井道)となる。
元々、この地には「登戸の渡し」があったが、東京都内の水不足対策として川崎市の長沢浄水場から相模川の水を都心に送る「導水管」を作るに当たり、歩道と車道の架橋計画が行われ、1953年(昭和28)に先代の道路及び水道管の併用橋の開通を機に廃止されたと記述がある。
その後、交通量増加で2代目の現在の橋が作られるが、最初は上り線が1995年に竣工、続いて下り線が2001年に完成した。
長さ813メートル、高さ28.5メートルの立派な橋だ。
利用者宅から歩き初めて、この橋の登戸側入り口までがおよそ30分。
途中河口から25キロの標識があるので、この橋もおよそその距離にあると思えば良い。
この橋の歩道は、車道側が鉄板の仕切りとなっており、真っ直ぐ伸びているので、利用者はここに来ると博打屋の腕を離して白仗で鉄柵を叩きながら一人で歩く。
同行援護では、この行為は禁じられているが、利用者がそうしたいと望むので、800メートルの自力歩行を見守るしかない。
何度も歩き慣れているので、利用者もイメージの中にあるようだ。
一休みして来た道を引き返すことにしたが、明日(11日)の「山の日」から始まる大型お盆休みが既に始まっているのか、この多摩川土手沿いの車道の車も、いつもの通勤時の混雑が見られない。
途中、前回と同じように足首に巻いたサポーターを外してしまった。
珍しく、遠いねぇと言うところをみると、足が痛いのだろう。
帰宅後に足首を見ると、やはりまだ完治とは言えぬ左右の違いがあった。
高齢者だけに、治りが遅いようだ。
明日(11日)も散策は予定されているが、どうなるか怪しい。
その為に、早朝を明けておかなければならないのも、博打屋としては不自由でもある。
明日朝の天気と足の具合次第で決めることになっている。
この辺りが、ボランティアの要素の強い同行援護と言うものか。
8時30分過ぎに利用者宅を出ると、ぱらぱらと雨が落ちて来たが、汗ばんだ体にはちょうど良い濡れ具合だった。
世の中が明日からの連休に備えて動き出す時間だった。
朝、出掛けに見た木槿(むくげ)が何ともきれいだった。

今日見た木槿は底が紅いので底紅と呼ばれる木槿だ。
アオイ科の落葉低木で、原産地はアジア、インド、中国など諸説あるという。
日本には薬用植物として平安時代にもたらされた。
種類も多く、盃形の花の底が赤くなっているものが多い。
朝開き、夕べにはしぼんでしまうところから、一日のはかない栄華にたとえ、「槿花一日之栄(きんかいちじつのえい)」と言われる。
これは、唐の詩人白居易の詩句「松樹千年終に是れ朽ち、槿花一日自ずから栄を成す」からとられたもので、「槿花一朝の夢(きんかいっちょうのゆめ)」ともいう。
アオイ科の花のみならず、夏から秋にかけて咲く花には、このようなはかない咲き方のものが多い。
『道のべの木槿は馬に食はれけり』(芭蕉)
芭蕉を乗せた馬は、木槿を楽しむ芭蕉の前でパクリと木槿を食べたようだ。
『底紅や黙ってあがる母の家』(千葉皓史)
一人暮らしの母親の家の庭には底紅が咲いている。
庭先からでも上がり込んだのか、勝手知ったる実家と言うところか。
午後からの病院予約に出向いた。
3ヶ月前の予約をうっかりと忘れるところだったが、手帳を見直して助かった。
前立腺肥大の定期診断だが、大学病院は暦通りの日々だそうだ。
確かに、病気には盆も正月もなかろう。
しかし、午後の病院は比較的静かだった。
残尿検査と尿検査をしたが、前回と大差なく、現行の薬を続けることとなった。
今日(10日)も開店休業だが、明日からのいわき平競輪オールスターに博打屋のお盆休みがかかる。
京王閣ナイター初日であるが、今日は様子見だ。
忘れない内に、今日の漢字。
昨日までの部首は、頻出度Aランクの40部首だった。
今日からは、熟語の構成の問題になる。
次の熟語の構成は、アからカまでのどれにあたるか一つ選べ。
1「媒介」、2「赴任」、3「硬軟」、4「直轄」、5「点滅」、6「贈賄」、7「不肖」、8「多寡」、9「謹呈」、10「憂愁」。
(ア)同じような意味の漢字を重ねたもの。(例=解剖)
(イ)反対または対応の意味を表す字を重ねたもの。(例=哀歓)
(ウ)上の字が下の字を修飾しているもの。(例=亜流)
(エ)下の字が上の字の目的語・補語になっているもの。(例=換気)
(オ)上の字が下の字の意味を打ち消しているもの。(例=不易)
(カ)主語と述語の関係になっているもの。(例=日没)。
答え。
「媒介」は(ア)。媒も介も仲立ちする意。
「赴任」は(エ)。任地に赴くこと。
「硬軟」は(イ)。硬と軟は反対。
「直轄」は(ウ)。直に管轄する。
「点滅」は(イ)。点は明かりがつくこと。滅は消えること。
「贈賄」は(エ)。贈る←賄賂を。
「不肖」は(オ)。肖は似る、似せるの意。不は打ち消し。
「多寡」は(イ)。寡は少ないこと。
「謹呈」は(ウ)。謹んで呈する。呈はさしあげること。
「憂愁」は(ア)。憂も愁もうれい。
以上、例がないと意外と難しい。
お盆休みを前に「槿花一日之栄」をしみじみと思う今日だ。
昨日の暑さはどこに行ったかという空模様で、曇よりと蒸し暑さが伴う。
雨はしばらく大丈夫と判断して、7時に利用者宅に出向いた。
足の捻挫が完治しないのが気になるが、本人は大丈夫という。
今朝は多摩川土手の遊歩道を登戸まで南下し、多摩水道橋を和泉多摩川側に渡る歩きやすいコースにした。
川崎市から東京都に渡ることになり、橋の中程に県境の標識がある。
上下4車線は2本の橋で構成されており、それぞれに広い人・自転車用の歩道が欄干沿いに作られている。
和泉多摩川側に渡り切った所に休憩スペースが作られており、そこにこの橋の由来碑がある。
この橋は「多摩水道橋」と言うのが正式名で、道路名で言うと東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線(世田谷通り・津久井道)となる。
元々、この地には「登戸の渡し」があったが、東京都内の水不足対策として川崎市の長沢浄水場から相模川の水を都心に送る「導水管」を作るに当たり、歩道と車道の架橋計画が行われ、1953年(昭和28)に先代の道路及び水道管の併用橋の開通を機に廃止されたと記述がある。
その後、交通量増加で2代目の現在の橋が作られるが、最初は上り線が1995年に竣工、続いて下り線が2001年に完成した。
長さ813メートル、高さ28.5メートルの立派な橋だ。
利用者宅から歩き初めて、この橋の登戸側入り口までがおよそ30分。
途中河口から25キロの標識があるので、この橋もおよそその距離にあると思えば良い。
この橋の歩道は、車道側が鉄板の仕切りとなっており、真っ直ぐ伸びているので、利用者はここに来ると博打屋の腕を離して白仗で鉄柵を叩きながら一人で歩く。
同行援護では、この行為は禁じられているが、利用者がそうしたいと望むので、800メートルの自力歩行を見守るしかない。
何度も歩き慣れているので、利用者もイメージの中にあるようだ。
一休みして来た道を引き返すことにしたが、明日(11日)の「山の日」から始まる大型お盆休みが既に始まっているのか、この多摩川土手沿いの車道の車も、いつもの通勤時の混雑が見られない。
途中、前回と同じように足首に巻いたサポーターを外してしまった。
珍しく、遠いねぇと言うところをみると、足が痛いのだろう。
帰宅後に足首を見ると、やはりまだ完治とは言えぬ左右の違いがあった。
高齢者だけに、治りが遅いようだ。
明日(11日)も散策は予定されているが、どうなるか怪しい。
その為に、早朝を明けておかなければならないのも、博打屋としては不自由でもある。
明日朝の天気と足の具合次第で決めることになっている。
この辺りが、ボランティアの要素の強い同行援護と言うものか。
8時30分過ぎに利用者宅を出ると、ぱらぱらと雨が落ちて来たが、汗ばんだ体にはちょうど良い濡れ具合だった。
世の中が明日からの連休に備えて動き出す時間だった。
朝、出掛けに見た木槿(むくげ)が何ともきれいだった。

今日見た木槿は底が紅いので底紅と呼ばれる木槿だ。
アオイ科の落葉低木で、原産地はアジア、インド、中国など諸説あるという。
日本には薬用植物として平安時代にもたらされた。
種類も多く、盃形の花の底が赤くなっているものが多い。
朝開き、夕べにはしぼんでしまうところから、一日のはかない栄華にたとえ、「槿花一日之栄(きんかいちじつのえい)」と言われる。
これは、唐の詩人白居易の詩句「松樹千年終に是れ朽ち、槿花一日自ずから栄を成す」からとられたもので、「槿花一朝の夢(きんかいっちょうのゆめ)」ともいう。
アオイ科の花のみならず、夏から秋にかけて咲く花には、このようなはかない咲き方のものが多い。
『道のべの木槿は馬に食はれけり』(芭蕉)
芭蕉を乗せた馬は、木槿を楽しむ芭蕉の前でパクリと木槿を食べたようだ。
『底紅や黙ってあがる母の家』(千葉皓史)
一人暮らしの母親の家の庭には底紅が咲いている。
庭先からでも上がり込んだのか、勝手知ったる実家と言うところか。
午後からの病院予約に出向いた。
3ヶ月前の予約をうっかりと忘れるところだったが、手帳を見直して助かった。
前立腺肥大の定期診断だが、大学病院は暦通りの日々だそうだ。
確かに、病気には盆も正月もなかろう。
しかし、午後の病院は比較的静かだった。
残尿検査と尿検査をしたが、前回と大差なく、現行の薬を続けることとなった。
今日(10日)も開店休業だが、明日からのいわき平競輪オールスターに博打屋のお盆休みがかかる。
京王閣ナイター初日であるが、今日は様子見だ。
忘れない内に、今日の漢字。
昨日までの部首は、頻出度Aランクの40部首だった。
今日からは、熟語の構成の問題になる。
次の熟語の構成は、アからカまでのどれにあたるか一つ選べ。
1「媒介」、2「赴任」、3「硬軟」、4「直轄」、5「点滅」、6「贈賄」、7「不肖」、8「多寡」、9「謹呈」、10「憂愁」。
(ア)同じような意味の漢字を重ねたもの。(例=解剖)
(イ)反対または対応の意味を表す字を重ねたもの。(例=哀歓)
(ウ)上の字が下の字を修飾しているもの。(例=亜流)
(エ)下の字が上の字の目的語・補語になっているもの。(例=換気)
(オ)上の字が下の字の意味を打ち消しているもの。(例=不易)
(カ)主語と述語の関係になっているもの。(例=日没)。
答え。
「媒介」は(ア)。媒も介も仲立ちする意。
「赴任」は(エ)。任地に赴くこと。
「硬軟」は(イ)。硬と軟は反対。
「直轄」は(ウ)。直に管轄する。
「点滅」は(イ)。点は明かりがつくこと。滅は消えること。
「贈賄」は(エ)。贈る←賄賂を。
「不肖」は(オ)。肖は似る、似せるの意。不は打ち消し。
「多寡」は(イ)。寡は少ないこと。
「謹呈」は(ウ)。謹んで呈する。呈はさしあげること。
「憂愁」は(ア)。憂も愁もうれい。
以上、例がないと意外と難しい。
お盆休みを前に「槿花一日之栄」をしみじみと思う今日だ。