久々の朝からの雨だ(21日)。
春分の日を過ぎて、早速春雨かなと思うが、どっこいそんな風流なものではなく、寒の戻りもあるようで、冬物の世話にならなければならぬ寒さである。
『毎年よ彼岸の入りに寒いのは』(正岡子規)
昨日(20日)彼岸の中日は過ぎたが、彼岸明けは明後日(23日)だ。
本来は先日17日の彼岸の入りに持ち出す句であったが、今年は今日が彼岸の中で一番寒いようだ。
この句は正岡子規の母親の教えが元になっているそうで、博打屋も毎年彼岸の入りに思い出す。
正直なもので、この句のとおり彼岸に寒い日は必ず訪れる。
それが昨日から一変の今日のようだ。
今日(21日)は「同行二人」で知られる弘法大師の忌日。
四国お遍路は根強い人気があるが、そのお遍路が被る笠にはこの「同行二人」の文字が書かれている。
意味は、「常に大師様と共にある」と言うことか。
弘法大師とは空海の諡(おくりな)で、宝亀5年(774年)から承知2年3月21日(835年4月22日)を生きた平安初期の僧であり、真言宗の開祖。
日本天台宗の開祖、最澄(伝教大師)と共に、日本仏教が奈良仏教から平安仏教へと転換していく上で大きな役割を果たした。
中国より真言密教をもたらした能書家としても知られる。
この当たりは高校時代の歴史で学んだ知識であるが、高野山金剛峯寺・東寺など建立寺院は多い。
博打屋は高野山には上った事がないのだが、行った人に聞くと皆一様に何かを感じ取った話しぶりをする。
真言密教の深遠さにおののいたのかもしれない。
東寺は京都駅から近く、弘法大師を身近に感じられる寺だ。
ここの塔は今修復中と思うが、心柱と呼ばれる真ん中を貫く柱の作りは高度な建築技術を駆使したもので、スカイツリーの技術にも取り入れられていると聞く。
四国お遍路旅は長年の願望だが、シルクロードを旅して朽ち果てたいと願う博打屋としては、四国すら巡礼出来ないようでは、絵に描いた餅。
しかし、信仰心のこれしきもない博打屋だが、「同行二人」の言葉は何かにつけて心に思い浮かべる事が多い。
雨降りで寒い朝だが、今日(21日)は珍しく3件の予定があり、嫌が応でも出掛けなければならない。
3ヶ月毎の前立腺肥大の様子の検査や、あるデイサービス施設の午後3時間の見学、夕方には両腕が肘までしかない、某大学の講師との懇談などである。
昨日(20日)の中山競馬は、前日(19日)の前進を元の木阿弥に引き戻す結果となったが、午前中の好発進のまま、午後は勝ち逃げするのが正解だったか。
ただし、初めて見るフラワーカップのファンディーナの男勝りの馬体を見ることが出来たのは収穫だった。
誰の目にもパドックで一際目を引いたのではなかろうか。
人気を分けあったデアレガーロ、ディーパワンサも各々良さを感じたが、迫力の面ではファンディーナが勝っていた。
久々に生産牧場の谷川氏に会った。
いよいよクラシック級の馬が出ましたねと言うと、満面の笑みを浮かべていた。
勝ち祝いに誘われたが、ターファイトの会員さんたちの集まりだから遠慮した。
牡馬より牝馬優勢の今年の3歳戦線にあって、皐月賞・ダービーでも通用かと思わせる走りっぷりであった。
前日(19日)スプリングSを勝ったウインブライトのクラブの若き代表は、ファンディーナには皐月賞に出て来てほしくないなと笑っていた。
桜花賞・皐月賞がひたひたと迫り来ている。
週明けの今日だが、連休競馬だったのでいきなり火曜日である。
しかも雨で野暮用も多い。
今日(21日)から近場と言えば小田原競輪くらいだが、今週は開店休業が続くだろう。
午後のデイサービス見学は、視覚障害者の行動と、それを援助するガイドヘルパーの動きの見学であり、知人のガイドが取り計らってくれた。
あいにくの雨で、予定していた外出が取り止めになったので、室内での運動やレクレーションを視察させてもらった。
今日(21日)の施設の利用者は視覚障害者が
主体で、見える人は一人であった。
博打屋も利用者に混じって目をつむり、スタッフが指導するストレッチ運動をやったが、言葉だけの指示にしたがって体を動かすことは大変な事だ。
目をつむり、356日のテーマ曲でその場で足踏みをさせられたが、同じ場所に立っているつもりが、かなりあちこちに移動していた。
人は8割以上の情報を目から取り入れている事がよく分かる。
両腕のない男性講師と、現役ヘルパーの3人での談話は、お酒を交えてのものとなったが、大変器用にグラスを持ち乾杯をされ飲まれていた。
テーブル上の食べ物をどうやって食べるのかと気にしていたが、突然椅子の上であぐら状態に姿勢を変えたかと思うと、足の指でホークを挟み、ちゃんと口に運んで難なく食べていた。
障害者と言う意識を何一つ感じさせない一時であった。
話が多岐に渡り、いつの間にか電車も少なくなる時間だったが、近年目まぐるしく変わる「障害者総合支援法」などの話を聞いた。
余り日常的に関わりの少ない分野だが、博打屋にとっては聞くもの見るものが驚きの分野だ。
「同行二人」、そう、人は絶えず誰か、何かと「同行二人」なのかも知れない。
『愁思符庵』の粟島渡来のじゃこばサボテンも「同行二人」だ。
春分の日を過ぎて、早速春雨かなと思うが、どっこいそんな風流なものではなく、寒の戻りもあるようで、冬物の世話にならなければならぬ寒さである。
『毎年よ彼岸の入りに寒いのは』(正岡子規)
昨日(20日)彼岸の中日は過ぎたが、彼岸明けは明後日(23日)だ。
本来は先日17日の彼岸の入りに持ち出す句であったが、今年は今日が彼岸の中で一番寒いようだ。
この句は正岡子規の母親の教えが元になっているそうで、博打屋も毎年彼岸の入りに思い出す。
正直なもので、この句のとおり彼岸に寒い日は必ず訪れる。
それが昨日から一変の今日のようだ。
今日(21日)は「同行二人」で知られる弘法大師の忌日。
四国お遍路は根強い人気があるが、そのお遍路が被る笠にはこの「同行二人」の文字が書かれている。
意味は、「常に大師様と共にある」と言うことか。
弘法大師とは空海の諡(おくりな)で、宝亀5年(774年)から承知2年3月21日(835年4月22日)を生きた平安初期の僧であり、真言宗の開祖。
日本天台宗の開祖、最澄(伝教大師)と共に、日本仏教が奈良仏教から平安仏教へと転換していく上で大きな役割を果たした。
中国より真言密教をもたらした能書家としても知られる。
この当たりは高校時代の歴史で学んだ知識であるが、高野山金剛峯寺・東寺など建立寺院は多い。
博打屋は高野山には上った事がないのだが、行った人に聞くと皆一様に何かを感じ取った話しぶりをする。
真言密教の深遠さにおののいたのかもしれない。
東寺は京都駅から近く、弘法大師を身近に感じられる寺だ。
ここの塔は今修復中と思うが、心柱と呼ばれる真ん中を貫く柱の作りは高度な建築技術を駆使したもので、スカイツリーの技術にも取り入れられていると聞く。
四国お遍路旅は長年の願望だが、シルクロードを旅して朽ち果てたいと願う博打屋としては、四国すら巡礼出来ないようでは、絵に描いた餅。
しかし、信仰心のこれしきもない博打屋だが、「同行二人」の言葉は何かにつけて心に思い浮かべる事が多い。
雨降りで寒い朝だが、今日(21日)は珍しく3件の予定があり、嫌が応でも出掛けなければならない。
3ヶ月毎の前立腺肥大の様子の検査や、あるデイサービス施設の午後3時間の見学、夕方には両腕が肘までしかない、某大学の講師との懇談などである。
昨日(20日)の中山競馬は、前日(19日)の前進を元の木阿弥に引き戻す結果となったが、午前中の好発進のまま、午後は勝ち逃げするのが正解だったか。
ただし、初めて見るフラワーカップのファンディーナの男勝りの馬体を見ることが出来たのは収穫だった。
誰の目にもパドックで一際目を引いたのではなかろうか。
人気を分けあったデアレガーロ、ディーパワンサも各々良さを感じたが、迫力の面ではファンディーナが勝っていた。
久々に生産牧場の谷川氏に会った。
いよいよクラシック級の馬が出ましたねと言うと、満面の笑みを浮かべていた。
勝ち祝いに誘われたが、ターファイトの会員さんたちの集まりだから遠慮した。
牡馬より牝馬優勢の今年の3歳戦線にあって、皐月賞・ダービーでも通用かと思わせる走りっぷりであった。
前日(19日)スプリングSを勝ったウインブライトのクラブの若き代表は、ファンディーナには皐月賞に出て来てほしくないなと笑っていた。
桜花賞・皐月賞がひたひたと迫り来ている。
週明けの今日だが、連休競馬だったのでいきなり火曜日である。
しかも雨で野暮用も多い。
今日(21日)から近場と言えば小田原競輪くらいだが、今週は開店休業が続くだろう。
午後のデイサービス見学は、視覚障害者の行動と、それを援助するガイドヘルパーの動きの見学であり、知人のガイドが取り計らってくれた。
あいにくの雨で、予定していた外出が取り止めになったので、室内での運動やレクレーションを視察させてもらった。
今日(21日)の施設の利用者は視覚障害者が
主体で、見える人は一人であった。
博打屋も利用者に混じって目をつむり、スタッフが指導するストレッチ運動をやったが、言葉だけの指示にしたがって体を動かすことは大変な事だ。
目をつむり、356日のテーマ曲でその場で足踏みをさせられたが、同じ場所に立っているつもりが、かなりあちこちに移動していた。
人は8割以上の情報を目から取り入れている事がよく分かる。
両腕のない男性講師と、現役ヘルパーの3人での談話は、お酒を交えてのものとなったが、大変器用にグラスを持ち乾杯をされ飲まれていた。
テーブル上の食べ物をどうやって食べるのかと気にしていたが、突然椅子の上であぐら状態に姿勢を変えたかと思うと、足の指でホークを挟み、ちゃんと口に運んで難なく食べていた。
障害者と言う意識を何一つ感じさせない一時であった。
話が多岐に渡り、いつの間にか電車も少なくなる時間だったが、近年目まぐるしく変わる「障害者総合支援法」などの話を聞いた。
余り日常的に関わりの少ない分野だが、博打屋にとっては聞くもの見るものが驚きの分野だ。
「同行二人」、そう、人は絶えず誰か、何かと「同行二人」なのかも知れない。
『愁思符庵』の粟島渡来のじゃこばサボテンも「同行二人」だ。