長い連休が漸く終わった(9日)。
もし博打屋が勤め人で、本当に10連休を取れる身分なら一体どんな過ごし方をしたであろうか。
生涯に於てそのような仮定の話も出来ぬ人生で来たことに後悔はないが、もしそう言う休みが取れたとして、果たして競馬に行ったであろうかと仮定すると、恐らく答えはノーとなるに違いない。
勿論、競輪やその他の博奕でもない。
競馬に多くの時間を費やしたから辟易してそう思うのではない。
金のやり取りが伴う博奕としての競馬と言う以外に然したる魅力を見いだせないからである。
さもしいと言われれば否定はしない。
博打屋に休みがあるなら、その時間は金のやり取りから極力遠ざかった世界に身を置きたいと思うだろう。
競馬に文化や趣味を持ち出す人がいるが、それを見出だせる人はそれで良い。
しかし、文化や趣味に金のやり取りは伴わなくて良いのではないか。
金のやり取りが伴えば、もはや業としての営みとなる。
日頃社会の一員として立派に業を持つ人が、休みの日にまで金のやり取りの世界に時間を費やす事もなかろう。
博打屋には理解しがたい出来事なのだ。
文化や趣味には惜しみなく金を費やすものであり失なうべきものである。
どんな関わりであれ、馬の勝ち負けに金のやり取りを託す競馬なら、それは立派な業の一つ。
文化や趣味を免罪符に持ち出してはいけない。
博打屋なら休みの時間にその業から離れたい。
きっとそう思うだろうなと、目覚ましを止めて暫し天井を眺めなから疲れた体に鞭打って起き出した。
今日(9日)から本格的に梨農夫に変じなければならない。
天気は下り坂と言う。
朝の空模様では夕方までは持ちそうな気がした。
園に出向くと袋かけの用意がしてある。
まだ摘果が済んでいないが、二十世紀梨は早目の袋かけが無難である。
園主は摘果の事を「粒こしらえ」と言うが、その粒こしらえの済んだ二十世紀梨から袋かけを始めたいと言う。
何れはしなければならない袋かけなのだから、別に今日からでも構いはしない。
1年ぶりの袋かけを始めた。
粒こしらえ(摘果)と言うのは、幾つも実を付けた雌しべの中から、最終的に実として成長させるモノを一つだけ残す作業であり、大きくさせるために一枝に何個残すか、その間隔を見ながら収穫量を決めていく作業だ。
既に葉が繁って来ているので、見落としの枝も多く、袋かけをしながら摘果をすることもある。
園主は粒こしらえは自分の仕事、袋かけは女子供のする仕事と思っている。
昔は「かけ屋」と言って、袋かけ専門に梨園を回る人もいたようだが、もはやその規模で梨園をやっている所は無い。
各々家族や親戚、近所の奥さんの手伝いなどで済ませるか、博打屋のような援農ボランティアに人手を頼る。
園主は毎日毎日木の下を巡りながら、見落としやら、枝の誘引など、微調整をして歩く。
90歳になっても自慢の梨作りなのだ。
この園は花粉付けをしないで自然交配に頼っている。
本来は花粉付けをするのが確実だが、何十年も梨を作っている園主にしてみると、自然交配で十分だと言う。
しかし、本当は体がきついし花粉も只じゃない。
博打屋に依頼しても金がかかるからしないのだろう。
何より自然交配が可能なのは、隣接する大きな梨園が花粉付けをするので、風向きによってはその花粉が飛んで来る。
老獪な園主はそれを経験から知っているに違いない。
急な袋かけだから、心の準備がなかったが、二重になっている二十世紀梨用の固い袋をかけ始めた。
午前中に400枚掛けたところで昼となり、多摩区役所の食堂が博打屋の飯処となる。
13時に午後の作業を始めると、ポツリと雨が落ちてきた。
梨棚にいると葉が繁っているので雨を強く感じないが、空を見ると雨雲が広がり止みそうもない。
14時過ぎに600枚をこなしたところで止めることにした。
せっかく今日(9日)は梨農夫と殊勝に働いていたのに、中途半端な時間に止めざるを得なかった。
今日は立川の決勝だが、時間的にも無理だしそもそも予定には入れていない。
小雨は降ったり止んだりだったが、夜にかけて降ると言う。
帰宅して一息付いているとドッと疲れが出てきた。
連休明けの勤め人も恐らく同じ思いではなかろうか。
様々な事があったゴールデンウィークであった。
博打屋にとっては散々な誤算だらけであったのだが、先週末(6・7・8日)に遠来の客人が現れ、昨日一昨日は東京競馬場にも参戦した。
一昨日(7日)はほぼ別行動だったが、博打屋は連休用資金の補充が出来なく既に死に体の東京競馬スタートであった。
昨日(8日)のG1NHKマイルを前に戦線離脱余儀無しの懐事情。
しかし、客人は土日連戦で帰郷する予定となっていた。
さすがに博打屋の戦線離脱は義理も欠くことになり顔出しはせざるを得ない。
開門が10分早まる事を想定に、快晴の早朝府中に出向いた。
空は晴れても懐は闇よと思いながら、東京競馬を細々と戦い始めた。
今日は同じフロアでの競馬となった。
博打屋がこれと思った馬が居ても別行動だと知らせたりするのに時間がかかったり、気が散って上手く噛み合わない。
本当に博打屋の結論に乗るのであれば、側に居ないとパドックや返し馬、さらにオッズとの損得勘定が加わりギリギリとなるので間に合わない。
馬券と言うのはナマモノで、そう簡単に答えは出せない。
皮肉なもので、弾が乏しい時に限り馬が良く見えるもので、朝から博打屋の馬券は当たっていた。
しかし、緊縮財政であるばかりに、3連複で妥協し、比較的取り易かった午前中の3連単を避けて通った。
午前中の博打屋の多忙が一段落した午後から客人へのアドバイスが可能となったが、いざ、馬券を指南すると言うのは大変神経を使うものである。
長い連休を飾る最後のビジネスチャンスだが、その顛末は続きにしたい。
堂々たる周回遅れのブログだが、今日(9日)の袋かけで疲労困憊。
明日(10日)は午前中通院日で梨農夫は午後からになるがお天気次第だ。
梨援農に入ると時間が取れない。
取り合えず、博打屋は梨山に居ますと張り紙を出しておきたい心境。
ドラマチックな昨日(8日)の午後からの東京競馬場での話しは続編で。
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『連休大団円・前編』
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