Quantcast
Channel: 梶山徹夫の『愁思符庵日記』
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2244

『歌会始の儀 』

$
0
0
朝の冷え込みも辛いが、体がすこぶる重く感じる(14日)。
昨日から皮膚科の薬が加わったが、眠くなると薬剤師が言っていた。
それなら睡眠は足りているはずだが、寝起きが辛いのは何故だろう。
今朝は午前中に六本木に所用で出掛ける予定だったが、明日(15日)に変更となった。
朝テレビを付けて洗濯や、蒲団干しの主夫をしていると「歌会始の儀」が始まった。
皇居・宮殿「松の間」からのお馴染みの光景だ。
思えば博打屋は去年もこの日この時間、この儀式を見ていたことになる。
今年のお題「人」が伝えられた時、よし、応募するぞ!と思ったことは覚えているが、三歩も歩かぬ間に忘れていた。
そう思いながら、予定変更で思わぬ「歌会始の儀」中継の2年連続の視聴である。
今年の応場は18962首でその中から10首の入選歌が披講された。
読師(どくし)と呼ばれる進行役が天皇・皇后自らがしたためられた歌を受け取り、皇后歌は2回、天皇歌は3回歌われた。
天皇が歌を詠むためにお呼びになる召人(めしうど)には、歌人の尾崎左永子さんが招かれた。
『戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ』(天皇陛下)
去年のパラオ訪問の際、ペリリュー島から対岸のアンカウル島に向かって深々と頭を下げて慰霊せれた両陛下の後ろ姿が印象的だったが、まさに、その時を詠まれたものだ。
『夕茜(ゆふあかね)に入りゆく一機若き日の吾(あ)がごとく行く旅人やある』(皇后陛下)
これは解説を待たなければ俄に理解できなかったが、結婚前の1958年9~10月にかけて欧米諸国を歴訪されたご自身の事を、今まさに夕茜に消えて行く飛行機に、同じ様な若者がいることを重ね合わされたものと言う。
『スペインの小さき町に響きたる人々の唱ふ復興の歌』(皇太子)
皇太子がスペインを訪れた時、東日本大震災の復興の歌が歌われていることに感動された歌だ。
『ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む』(雅子妃)
東日本大震災の被災地を見舞われた時に
触れ合われた若者たちの、復興に向けての澄んだ眼差しを詠われた。
『駅出でて交差路わたる人の群あたたかき冬の朝の香放つ』(召人・尾崎左永子)
一般入選10首の一番手は16歳の高校1年生。
『日焼けした背中の色がさめる頃友達4人の距離変化する』(内山遼太)
ひと夏を越して、友情がさらに深まった事を素直に詠っている。
皇族含め17首が古式豊かな歌い方で詠われたが、各々味わいがあり、さすがに歌会始の儀に選ばれただけある。
午前中の和歌の鑑賞と蒲団干しで時間を奪われてしまい、我が商いに気付いたのが午後半ば。
今日(14日)は名古屋と広島の準決勝がある。
明日(15日)の為にも見ておかなければならないが、車券は全てに手が出せない。
注目は名古屋の原田、木暮、金子だったが、各々勝つには勝ったが、金子のレースだけが2・3着同着となり、荒れてしまった。
広島は不調と読んでいた北都留が勝ち、立川で見たあのレース振りは何だったのさと思わされた。
どうやら、内股に出来ていた腫れ物が完治したらしい。
その事は分かっていたのだが、今一つ安定性がない。
準地元の桑原を連れて北都留が勝ったが、桑原は交わせなかったのだろうかと思った。
手を出したレースが物に出来ず空商いの1日となった博打屋は、照る日曇る日の曇る日を選んでしまったが、明日(15日)の決勝に期待するしかない。
まだ、先日の溜め逃げが効いている博打屋だ。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2244

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>